2012年05月20日

新書まつり


先週から今週にかけての読了


F1002065

竹信三恵子著
『ルポ 賃金差別』
ちくま新書955 2012年

賃金の話を「格差」ではなく、
「差別」として捉えて分析。
単なる「給料の差」ではなくて
「給料が安くて当然」「さまざまな権利がなくて当然」などなど
「差別してもいい人たち」というカテゴリーを作ることで
賃金差が発生しているという話。

賃金は労働の対価として払われている
→ならば同じ労働には同じ対価を
というところからスタートしているのだが、
日本の場合
「賃金は人に払っている」
という意識が非常に強いので
恐らく、単なる賃金差以上に
給与の格差が「正式なメンバー」か「そうでないか」という
身分の差と絡みやすいんだろう。

なんて思ったり。


F1002066

大江正章著
『地域の力―食・農・まちづくり』
岩波新書新赤版1115 2008年

さまざまな実践を紹介。
採算が合ってビジネスとして成り立つかどうかというところまで考慮しつつ
各地の地域独自の取り組みを紹介している。
やはり、「巨大な富」は生み出さないけど
そこでうまく経済を回して行ける、持続可能な経済とでもいうような
小さな経済スタイルを根付かせたいものだ。


F1002069

郷原信郎著
『思考停止社会』
講談社現代新書1978 2009年

コンプライアンスの問題などを扱っているもので
「決まりを守ること」だけを重視することが
いかに問題かを紹介。
「「法律で決まってるから守るべき」という学生が
最近多すぎるんです」と言っていた
ゼミの後輩のことを思い出す。

F1002070

冷泉彰彦著
『「上から目線」の時代』
講談社現代新書2141 2012年

日本語のそもそもの特徴から
さまざまな場面での、会話や行動のテンプレートが
崩壊していることや
価値観がぶつかり合う場面が多くなってきたこと、
社会の問題状況も複雑化していることなどが
「目線」を強く意識させているという内容。



F1002067

井田徹治著
『環境負債』
ちくまプリマ―新書178 2012年

中高生向けに書かれているものなので
やさしくさまざまな問題や取り組みが紹介されている。
コモンズの悲劇。
まさに、現在の日本の状況は、そうなのだろう。
日本が、頑張って何とかしようとしているのに
アメリカが、中国が、インドが、同じように取り組まないのは「ずるい」「意味ない」。
だから、日本もぶんどれるだけぶんどる。

やはり、自給できる範囲でやってゆく、
今までのように、大量に安いものが手に入ったのが異常なわけで、
それなりの対価を払って、利用できる分だけ利用する、
そんな「覚悟」が重要。



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2012年05月05日

憲法記念講演会ほか

F1002061

5月3日は毎年恒例
全国憲法研究会の憲法記念講演会でした。

今年の講演は上野千鶴子氏と中里見博氏。
「当事者性」にかかわる話で、なかなか面白かったです。

F1002060

そんなわけで読んでみた昨日読了

中西正司・上野千鶴子著
『当事者主権』
岩波新書 新赤版860
2003年

障害者運動を追いかけることで、
当事者が当事者として声を上げてゆくことの意義を
検討しており、
当時問題になっていた介護保険や障害者福祉の問題なども触れられている。
10年近く前の本なので、
そう、確かに90年代から2000年代の頭にかけての
当事者運動の意義は頷けるところなのだけれど、
2000年代後半以降どうなったのかが知りたいところ。


恐らく、子どもの問題もそうだけど、
あらゆる問題に関して、
90年代の評価というのが、これから重要になるんじゃないかと思う。
そして、それはまさに、私たち20代30代の生きてきた時代の評価
そのものになるんじゃないかなんて思ったり。

そういう意味では、「管理から参加へ」とか
「豊かさの問い直し」とか
そういった大きなパラダイムを経験していない今の大学生以下とは
やっぱりひとつ世代が違うんだろうなぁ。


ついでに、本日読了。

F1002064

本山美彦著
『民営化される戦争』
ナカニシヤ出版 2004年

いきなり読むにはちょっと難しかったけれど、
アメリカの行う現在の戦争が、
いかに私たちの想像を超えたものになっているのか、
軍産複合体と呼ばれるアメリカの巨大企業が
世界中の戦争や紛争などにどれだけ深く関わっているのか
それが、日本にどう影響するのかなどを
かなり詳細に綴った一冊。
なかなか衝撃的。

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2012年04月29日

読書

金曜日読了



F1002059


田中伸尚著
『ルポ 良心と義務』
岩波新書 2012年

国旗国歌法から13年。
法制化当初、2000年代前半までは
東京都はじめ大きな問題になり、
各地の学校では生徒も含め、
さまざまな意見が交わされ、まさに「話し合い」の精神にのっとって
思想・良心の自由をどう保障すべきかについて
多様な議論があったわけですが、
現在では、ほとんど議論もなく、
もはや過去の問題のようになっている国旗国歌問題。
大阪での条例化が問題となる中、
あの頃、何があったのか、
その後どうなったのか、
現在ではどうなのかを取材した一冊。

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2012年04月16日

走り去った成田線

先週の日曜日のこと、
柏に買い物に出かけての帰り道、
「成田線は踏切事故の影響で成田―安食間で運転を見合わせています」
という表示を見かけました。

踏切事故って大変じゃん!

ということで帰宅後いろいろ調べてみるも、
何故かニュースになってない。

でも、最近では成田線の車内放送で
「先日もこの成田線で踏切事故が発生したので安全には気を付けてください」
的な放送がよく流れる。

そして、10日の朝刊、東葛版にようやく記事を発見。

それによると…

8日午後4時頃、成田市郷部のJR成田線西野内踏切で、
同市の無職男性(77)の軽乗用車が、
通過中の上野発成田行きの普通電車に接触し、横転した。
男性にけがはなく、電車もそのまま走り去って成田駅に到着
乗客にもけがはなかった。
成田署の発表によると、現場は警報機や遮断機のある踏切で、
軽乗用車は踏切手前で停止していたが、
電車の通過中に前進して接触したという。
JR千葉支社によると、踏切内の軽乗用車の撤去などで
上下4本が運休し、約700人に影響した。

(読売新聞4月10日朝刊東葛版)



「電車もそのまま走り去って成田駅に到着」


そんなことあるんかい!

自動車と接触して横転してるのに気付かずに走り去るって、
普段は「異音を感知」とかでよく止まるのに…。

まぁ、けが人が一切出なくて良かったです。

という成田線クオリティーでした。

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2012年04月15日

植物たち

ようやく暖かくなってきて春らしくなってきましたね。

我が家の庭の植物たちも次々と芽を出し始めました。

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今年種をまいたリンゴ「シナノゴールド」

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こちらはカエデ。

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こちらもカエデ。

カエデは羽のようになった種が特徴的です。

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こちらはどんぐり。コナラ…だろうか。

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こちらは梨。

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こちらも梨。合わせて10株発芽しました。

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拡大するとこんな感じで
リンゴによく似ています。

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こちらはケヤキ。今のところ3株発芽しています。
ケヤキは葉っぱに種がつきます。

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こちらはボケの花。

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こちらは3年目のレモンの新芽。

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2年目のカエデ。

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2年目のりんご。

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2年目のコナラ。

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発芽したばかりのコナラ。





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2012年04月01日

新年度になりましたね。

ついに、庭の桃2世が開花しました!

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それにしても濃いピンク。

この桃は、妹が生まれたときに植えた桃1世が
枯れる前に付けていた種が庭で発芽したもの。
なので桃2世です。

ちなみに桃1世は父親が剪定しすぎたため枯れるという
なんとも残念な感じでした。

しかも実生といって種がそのまま発芽したものなので
接ぎ木や挿し木ではないのです。

それが今年ようやく花をつけました。
初の花。

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昨日の強風でどうなることかと思いましたが
無事に咲いてくれてよかったです。

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こちらは2年目のりんご。新しい葉っぱが出てきました。

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けやきも蒔いてみたんですが、どうやら芽を出したようです。

さて、明日から福島に行ってきます。

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2012年03月25日

とかげさん

今日庭のペットボトルプランターをどかしてみると…

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トカゲ、というか多分本名はカナヘビさんが丸くなってお休み中でした。
真ん中にちょこんと映っている足が映っています。

tokage2

全く動かないところを見ると、冬眠?休眠?でもしていたのでしょうか。

いつもはすぐに逃げてしまうのですが、
一向にこのまま動かなかったところを見ると、
まだ、寒くてそれほど動けないのかもしれません。

そっと元通りにしておきました。
(後で見ると、少し体制が変わっていました。)

梨が芽を出していました。

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りんごみたい。

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種の殻を帽子のように持ち上げて発芽します。



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2012年03月20日

ちょっと遅い春の訪れ

今年は寒かったせいか
今日、ようやく庭の梅が開花しました。

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まだ2つほどしか開いていません。

桃ももうすぐ開花しそうですが、まだ蕾のまま。

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この桃、妹が生まれたときに植えた桃の種から芽を出した
いわば二世の桃で、今年初めて花を咲かせそうです。

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こちらは一足先に花が咲いたヤマブキ。

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リンゴはまだこんな感じ。

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クヌギの中には、根元から新しい幹が出てきたやつがいました。


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和田前公園脇の畑にある立派なクスノキ。




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2012年03月16日

ドライアイス

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いくつになっても、こいつ、この泡が出るのは楽しい(笑)

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2012年02月27日

08フェアウェルコンサート

昨日は3年違いの後輩たち、
2008年度生のフェアウェルコンサートでした。

長い文章はご愛嬌。

06、07、そして08と、これで自分たちと同じ時間を過ごした学年が
すべて卒団してしまう。
そういう意味では、自分たちの知っている学年がステージ上で歌うのは
これが最後だったりします。

そうはいっても08は05が4年生の時の1年生。
幹事学年の時の1年生である07と比べれば、
普通であれば、他パートのメンバーあたりはあまり記憶にない
そんな学年なのかもしれません。

しかし、何が理由でそうなったのかはよくわかりませんが、
08のみんなは、05にもよく絡んでくれました。
どうやら他のパートでも08は人懐っこかったようです。
卒団してからも、演奏会などで会うと、必ず話しかけてきてくれる、
それが08という人たちでした。

彼らと過ごした時間はたった半年で、
想い出の数は06や07には及びませんが、
それでも、随分濃密な半年だったんだなと思います。
2008年度の後期と言えば05が幹事学年を終えて、
前期を何とか乗り切って、
メンバーも徐々に戻ってきて、さぁ最後の定演だ!というそんな時期。
早混最後の半年ということで、そこでの曲にもそれぞれ思い入れがあったりもします。
勿論、成長してゆく07の姿を見るのは楽しかったけれど、
そこに08という新しいメンバーが加わって、
07が先輩になり、06が幹事学年らしく成長し、しかも05を慕ってくれるというのは
なんだかとても楽しい時間でした。

総務としての特権とでもいうか、
08のみんなのことは点呼なんかの機会を通してしっかり覚えています。
肩書があると向こうからも覚えてもらいやすいようで、
そこはやっぱり特権ですね。
U村、H野、M島というソプラノの3人組なんかは役職のおかげですぐに覚えられました(笑)

でも、定演直前にS藤さんとS井さんを間違えたり、
O田さんのことを聞かれてとっさに出てこなかったり、
実はいろんな粗相もしています。
むしろ、卒団後もいろんなところで話しかけてくれたりしたことで
今でも全員の顔と名前が思い浮かぶのかもしれません。


そんな08ですが、僕の知っている姿はあくまで1年生の姿。
それ以降、08がどんな早混生活を送って来たのか、
早混の中でどんなキャラを作り上げてきたのかなんかは
実は全く未知なのです。
そんな08がどんなフェアウェルを見せてくれるのかということは、
非常に楽しみでした。


さて、本題のフェアウェル。


とにかく楽しそうだった!


これが感想です。
あと、噂には聞いていたけど、曲数が多かった(笑)

08というと、どんなときも楽しそうな印象があったのですが、
まったくその印象は裏切られることなく、
あぁ、やっぱり3年経っても、この楽しそうなノリは変わらないんだなぁ、
若いなぁと思いました(笑)

でも、意外とこの「楽しそう」というのはフェアウェルでは
少なくとも、これほど前面に出てきたことがないように思います。
歴代の卒団生はみんな楽しかったことと思いますが、
やっぱり、ステージに立つと、いろんな思いが交錯して、
「真剣さ」とか「寂しさ」とか、なんかそういったものが伝わってきたりするものなのですが、
08の場合、それにも増して、「歌うのって楽しい!」という様子が
指揮を振る後姿からも、歌っている人たちの表情や声からも、
伴奏を弾く姿からも、伝わってきました。


それに、やっぱり歌の方も素晴らしかった。
1年生しか共にしていないからかもしれませんが、
まぁ、こっちはパトリ経験した後のサブリという
いわば言いたいこともいろいろあるし、言おうと思えばそれなりに言えちゃう立場。
でも、08にとっては「暗譜?なにそれ?」「ラテン語?なにそれ?」。
まぁ、いろいろ苦労しながら定演に乗ったことだと思います。

何よりもまずIn stiller Nachtで驚きました。
この曲、08と共には歌っていませんが、
2006年度にSADで苦しめられた一曲。
この曲を聴いたとき、08ってこんなにうまかったんだ!と感動しました。
2008年度の曲もたくさんありましたね。
モツレクのキリエは、突然の登場にびっくりしつつも、
なんかちょっと08の1年生らしさがそれまでの曲に比べて垣間見えて
なんだか少し懐かしかったです(笑)
D班Ens.特練なんてのでやらせてもらった懐かしい曲。

「雨ニモマケズ」も、H野さんの力強い指揮にも、08の歌いっぷりにも
やっぱり08らしい、なんかタイムスリップしたような
そんな感覚を覚えさせてくれました。
「告別Ⅱ」は、1年生の08が全く見えず、
特にテナーはなんだかK部くんの姿が08の後ろに見えたようでした。
そんな姿に、あぁ、ちゃんと伝わった部分は伝わったんだなぁ、
という思いと、それを元に自分たちの力でここまで成長できたんだなぁ
と感心する思いでいっぱいでした。

そして、びっくりしたのは、これらの3曲への思い入れが思い出されたことです。
正直なところ、モツレクにしても雨ニモにしても06の曲というイメージがありました。
ところが、昨日、これらの曲を歌っている08の姿を見ていたら、
まるで、08年度にタイムスリップしたような気がして、
そして、まるでADや特練を見ているように、
「あぁこのポイント好きだった」とか「ここはこんな風に歌ってほしいって指示していた」とか
そういう、自分の曲たちへの思いが自然と思いだされたわけです。
これは、06のフェアウェルでは感じなかった初めての経験でした。
「なんだ、2008年度後期の曲って、すごく思い入れあったんじゃないか」
ということを08のみんなが思い出させてくれたのでした。

そして、それ以外の曲では、僕の知らない08のいろんな面が
見えてきたような気がしました。

そんなわけで、フェアウェル、最後の最後まで楽しませてもらいました。
卒団後も時間だけはあることをいいことに、すべての演奏会に行きましたが、
08だけを取り出して聞くものでもなく、
4年間の集大成にふさわしいフェアウェルを聴いて、
08の成長ぶりに改めて感動しました。


そんな08のみなさんも今日からは卒団生の仲間入りです。
これで、早混のすべてを経験した=05と同じ土俵に立てたわけです。
そして、また、「卒団生」という共通の時間を過ごせるようになりますね。
もっとも、卒団生も1年め、2年め、3年めで違った経験をするので、
まだまだ楽しめますよ(笑)
これからは、早混の仲間と会う機会もぐっと減るでしょう。
今までの「当たり前」が「当たり前」ではなくなる日がフェアウェルです。
しかも、そんな実感もわかないまま、卒団生になるものです。
そして、多くの人がバタバタしながら4月からの新生活へと入ってゆくものです。

ちょっと寂しいです。いや、僕は結構さびしかったです。
大学院に行った僕は、早混がなくなってからというもの、
とにかく時間ができてお金もたまりました(笑)
そのくらい、早混が大きな存在だったのです。
でも、実はただ寂しいだけではありません。
05,06,07と、卒団生の仲間がたくさんいます。
そして何より08はいつまでたっても08です。
確かに会う機会は減るし、みんなバラバラになる。
でも、それだけに、再会したときには、今まで以上に面白いかもしれない。
05でさえ、こういう機会に再会すると、すごく楽しいんだから、
08のみんなだったら、きっとものすごい楽しいはずだ。

そんなわけで、08のみなさん卒団おめでとう。
そして、ようこそ「卒団生」へ。

また、君たちと同じ時間を共有することができるのがうれしいです。

これからも、よろしくね。

2012.2.26 

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2012年02月12日

kaeruくん絶滅へ

数年前、布佐駅のみどりの窓口を潰しにやってきた
「もしもし券売機kaeruくん」なるやつがいる。

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こいつがそれだ。

JR内での正式名称がどうなっているのかはよくわからないけれど、
簡単にその仕組みを説明すれば、
まぁ、一方的なテレビ電話による切符発券システムとでもいえばよいだろうか、
ある一か所(盛岡にあるらしい)に切符発券を担うオペレーターを集めて、
各地のkaeruくんから呼び出しがあるとそれに対応し、
乗客の要望(向こうからはモニターでこちらが見える)にこたえて切符を発券する。
なので、乗客からは相手の様子がわからない、テレビ電話による発券のようなものらしい。

そうすることで、各駅の窓口の人数を削減でき、
また、窓口に置いておく機会の数も削減でき、メンテナンスなんかの費用も削減できる
ということらしい。

よって、こいつが来てから、布佐駅の駅員さんは大幅に減った。

当初は慣れない人が多数で、一日中黄色のジャンパーを着た案内の人が
券売機の隣に張り付いているという、何がしたかったのかよくわからない奇妙な奴だった。

ところが、最近、「kaeruくんが現在生息している全部の駅から抹殺されるらしい」という噂が
流れていたのである。


そして…

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ついに、布佐駅にも「kaeruくん、絶滅させます」の張り紙が掲示された。

しかも、kaeruくんの後継は、窓口復活どころか
指定席券売機でもない、通称「黒い券売機」
要するに、定期が発行できるただの券売機が来るらしい。


まぁ、たしかにkaeruくんは決して使い勝手の良いもんじゃなかった。
かつてであれば、窓口で時刻表片手に駅員さんと
この新幹線は満席だ、東京では乗換はこのくらい見ておいた方が良い、
じゃあ、こっちはどうだろうか、いやこっちの方が良いんじゃないか
などいろいろと相談しながら切符を買っていた人も多かった。
まぁ、田舎なんてそんなもんだろう。
ところが、kaeruくんは、やはり機械相手なのもあって
こちらがしっかりと指定しないといけないので、なかなか乗客には負担だったようである。
しかも、地域性がないため、地元の駅名などを指定しても
切符を出すまでになかなか時間がかかったりした場合もある。

ついでに、最近はよく「調整中」といってお休みしている。

しかし、後継者はただの券売機。
kaeruくんは売ってくれた
新幹線の切符も、特急の切符も、長距離の切符も、学割の切符も
学割の定期もグリーン券も全部買えなくなる。
帰省するときの切符も買えなくなるわけである。

これを「改悪」と言わずになんというのだろうか。

確かに「経費削減」は重要かもしれない。
しかし、人件費の削減を続ければ社員全体の経済力がだんだん下がってゆき
日本中でそれが起きてモノが売れにくくなっているのが現状だし、
これから本格的少子高齢社会を迎えるにあたって、
「儲かる」駅というのは大都市や地方都市などの一部の駅しかなくなってくるだろう。
しかし、一方で高齢者の車の運転による事故が問題視されたり、
被災地でも「電車に乗る場所」以上の役割を駅が担ったり、
「観光立国」を目指そうという日本の姿勢から考えても、
公共交通や駅という場が担うべき役割は「儲け」ではなかなか測れないものが
あるのではなかろうか。
田舎の駅ほど、「儲からない」けれど、駅の役割は大きい。
そもそもJRは多くの私鉄とは違い通勤・通学に重きが置かれた鉄道ではない。
それ故に、経費も掛かるのだろうが、
是非とも、高齢者でも外国人でも鉄道やその土地に詳しくない人でも
気軽に使えるJRであってほしいものである。

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2012年01月01日

1年のはじめに思う。

あけましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。

本年もよろしくお願いいたします。




というわけで、2011年も終わり2012年になりました。

昨日は久々に部屋の大掃除を執り行い、
紅白歌合戦を観て、年が明けてから竹内神社に初詣に行き、
本日はおせちとお雑煮を食べ、年賀状を見て、成田山に初詣に行き…

とお正月らしい日々を過ごしてみました。

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こちらは夜の竹内神社。
左側のテントの下ではお酒を、正面の小屋ではお札やお守りを売っていました。
年に数回しか開くのを見たことがないので、貴重な画です。

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こちらは竹内神社本殿。
結構並ぶもんですね。

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こちらは本日夕方の成田山新勝寺。


ちなみに、おみくじというのも割と好きなのですが
今年は竹内神社の方が小吉、成田山は末吉でした。


学問運は
竹内神社:雑念が多すぎる勉学せよ
成田山:すぐには成果が表れないが、努力を怠らないこと。

ということで、精進せよということのようです。

病気
竹内神社:医者を選べ治る
成田山:長引けば命にかかわらず、急いで治そうするとかえって危うし。

というわけで、アラサーの体も長い目でメンテナンスを…。

今年は旅行にもゆきたいのですが、旅行運は
竹内神社:さわぐな
成田山:順調に運ぶ。

ということで。さわぎません。

ちなみに恋愛運は
竹内神社:良い人です信じなさい
成田山:少し待てば、すばらしい進展がある。

縁談は
竹内神社:いろいろのさわりありひそかにすればよし
成田山:ととのう。

とのことで、全体的に文が短い竹内神社の妙に長いお言葉と
全体的に文が長い成田山の妙に短いお言葉が
なんだか笑えました(笑)

まぁ、何事にも慢心せず、焦らず
腰を据えて精進したいと思います。



さて、昨年の漢字は「絆」でしたが、これにはやや違和感。

昨年は、地震によって非常に広い範囲で大きな被害が出ました。
布佐地区も大きな被害を受けたし、報道が少なくなっただけで
まだまだたくさんの地域で被害の爪痕が残っております。
原発は廃炉にするだけでも40年はかかるだろうとのことで、
40年、67歳。全く想像ができない長い期間にわたって
大きな影響を及ぼしそうです。
福島の人々にとっては消したくても恐らく現在生きている人たちにとっては
一生の間かかっても、その影響が消せないでしょう。
勿論、この地震によって多くの人々が身近な「絆」の大切さを実感した、
これは間違いないと思います。
しかし、親密な圏内を一歩出れば、それはいわば「家族」「地域」のような縁ではなく、
人々の意志に基づく「連帯」だったでしょう。

もっとも、私が感じた、地震があらわにした問題。
それは、この社会が、この20年ほどの間に見えない部分で
非常に弱体化し、「地域の縁」すら十分に機能しない状況を生み出していたこと。
教科書で習った「過疎過密」は、大都市圏での「帰宅困難者」と地方での「孤立」として現れたし、
ここ10年ほどの「合理化」は各地の小規模なさまざまなものを集約し大規模化するという形で
例えば、地域の商店がなくなり車がないと個々人の買い物にも行けない、
その車を動かすためのガソリンは、小規模な油槽所を合理化で統合したため
一気にダメージを受けてしまったことによって供給されない。
公共交通であるはずの鉄道は、人員削減などによって余裕のない状態。
ひとたび原発に目を向ければ、「脱原発」を唱えることは「非国民」であると言わんばかりの
「経済最優先」の思考停止状態を目にすることになり、
そういった社会の様々な歪みの部分を地震が教えてくれたように見えました。

これから復興計画が練られてゆくようですが、
恐らくこの辺の問題を解決しないと、この先、社会が回らない。
多くの家庭が車を足のように自由に使うことを前提に、
販売店側も、大規模倉庫にストックをもって、大量販売を行うという販売形態で、
大型ショッピングセンターを作ればよいのか。
多少コストがかかっても、徒歩圏内に最低限の必需品がそろうお店があって、
流通側は自動車を使わなければならないけれど、
それなりに地域の中で経済が回るような社会が良いのか。
原発で作った電気を大量に使用してゆく社会が良いのか、
それとも、電力使用自体を削減してゆく社会が良いのか。
企業は省エネに邁進し、経済も衰退している状態で、
電力使用量が伸び続けているというのは、
きっと社会のどこかに「電気」というエネルギーを使うことで成り立つ
そんな構造が埋め込まれているはず。
例えば、エレベーターが必需品の高層ビル。
あれは、過密化した都市の「無理をしている部分」をエネルギー消費で補っていることなのではないのか。
24時間営業しているコンビニやスーパー、量販店。
はめ殺しの窓に自動空調で維持された環境。
3分に1本やってくる長編成の電車。
それらは、社会の「無理をしている部分」をエネルギーで補っているのではないのか?
構造的にそれだけ無理をしている社会で本当に良いのか。

地震は、そういった社会の在り方を変えるきっかけを与えてくれたのではないかと思います。

本年はより、人の生活を中心に据えた持続可能な社会を構築してゆく、
新たな一年にしてゆきたいなぁと思います。


なので、私にとっての昨年の漢字は「歪」。
大地も歪み、社会も歪み、経済構造も政治も歪んでいた。それが一気にあらわれた。
そして、今年の漢字は「歪」から「不」を取った「正」になるよう、
公正な社会になるように願っております。


2012年 元旦

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2011年12月31日

結婚の壁

最近読んだ本。

一昨日読了

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佐藤博樹・永井暁子・三輪哲編著
『結婚の壁』
勁草書房 2010年

本書は一般向けとは言い難いものの、
さまざまな調査分析を行うことで、巷で言われている結婚にまつわる様々な議論を
データとして裏付け証明しようとしている一冊。
もともと人は見たくないものは見ようとしないものであるだけに、
収入などによる格差の存在をデータとしてまざまざと示されるのは
あまり気分がいいものではない。
とはいえ、やはり「結婚」という問題は社会全体で見ても
大きなものであることに間違いはない。
本書のデータが示す一つの事柄に、
欧米諸国では同棲カップルなどが普通に存在するために、
結婚しないことと少子化は結び付かないが、
日本では同棲がまだまだ少ないため結婚しないことが少子化に直結するということ。
これだけでも、まじまじとデータで示されると、
なんだか思考が停止しそうになってしまう。

内容は、ざっくり言えば、非婚化が少子化に直結している。
だから非婚化を何とかしなければならない。
では、なぜ結婚しないのか。結婚の壁はどこにあるのか。
最終的には、高度経済成長期のような
男性は総合職として就職し、女性は一般職として就職し、
職場の縁で結婚。女性は退職して専業主婦になるというような
「一般的」な結婚、家族形成の形を実現できる社会ではなくなっている。
(収入面・一般職の非正規化・長時間労働など)
だから、現在の社会に合わせてさまざまな政策形成を行わないと
(従来のように男女とも正社員で十分な収入があるという形での出産育児支援や
稼ぎ頭の男性と専業主婦の女性の家庭を支援するような政策ではなく)
結婚できない状況が継続し、ひいては少子化など非常に大きな問題に直結するというもの。

それをさまざまな面から分析しており面白い。
中でも、結婚に求めるものの男女差は面白かった。

結婚に対して男性は子ども、女性は夫との関係を強く求めるのだという。
実は、社会全体の結婚に対する意識は大きく変化しているとはいえ、
自分のことになると結構保守的で、
男性は「結婚したらやっぱり子どもが欲しい」けど
女性は「結婚しても夫と仲良くやれること」に重きを置くため
そこに結婚の壁が存在するのではないかということ。

あまりに生々しすぎるのだけれど、
確かに、「結婚しなくてもいいけど子どもは欲しい」
という男性も結構いそうな気がする。
しかし、女性からすれば「結婚」が自己実現(就業の継続など)の障害になることは減ってきたとはいえ、
「子どもが小さいうちは母親が家にいるべき」という考えはいまだに主流派なので(当の女性にも)
「出産」はかなり障害になるのだろう。
となると、やはり女性が「出産」を機に大きく人生を変えねばならないという現状を
変えることは、結婚や出産への不安を取り除くことになり、
ひいては結婚や出産に踏み切る人が増えるのかもしれない。

ただ、問題は結局、その「コスト」を誰が引き受けるのかということ。
現在は女性が自分のキャリアをあきらめるという「コスト」を引き受けているが、
これを例えば出産や育児ができるような労働環境を整えるという形で「会社」が引き受けるのか、
さまざまな社会保障や保育の充実など「社会」が引き受けるのか。

恐らく国民の多くは「女性が結婚・出産・育児しやすい環境を整えるべき」という総論には賛成だ。
でも、ではコストを引き受けるのかという点では反対。
つまり、「それは必要なことだね。でも、私はそのコストを引き受けたくないから、
誰かがやってくれればいいね」と言って、結局現状が変わらないわけだ。

実はこれは、そのほかのいろんなことにも言えるだろう。
「65歳までの雇用」にも「パートの社会保障充実」にも「非正規雇用対策」にも
総論では賛成するけど
(企業からすれば、消費者は豊かな方がモノが売れるし、高いものを買ってくれる。
社会が安定していた方が、さまざまなリスクは少ない。)
でも、自分ではそのコストを引き受けたくない
と言っているのが、現在の企業なわけだ。


昨日読了。

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三浦展
『下流社会』
光文社新書221 2005年

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三浦展
『下流社会 第2章』
光文社新書316 2007年

こちらはマーケティングが専門の三浦氏。
下流社会という言葉を社会に広めた本である。

こっちも基本的には社会構造の変化を指摘している。
かなり大雑把に要約すれば、国民の大多数が中流意識を持った時代は終わり、
団塊ジュニア世代と呼ばれる、現在の30代の若者には意識の変化とともに
階層格差が広がっているということをさまざまなデータから分析している。

大雑把に要約するのは非常に難しいのだけれど、
単純に言えば、社会が豊かになった時代に生まれた最初の世代である
現在の30代は、消費社会の中でずっと過ごしてきた。
そして、個性が大事だ、自分らしさが大事だという時代に生きてきた。
その結果、中流という階層から、
より楽な生き方へ落ちてゆく「下流化」という現象が起こっているというのである。
まぁ、他人ごとではないのであるけれど、それ故にイメージしやすい。

簡単に言えば、

千葉県の郊外の一戸建てで幼少期を過ごし、
正社員のお父さん・専業主婦のお母さんの元、自由に自分らしさを発揮できるよう育てられ、
年に一度くらいどこかに旅行に行って、
休日はたまにファミレスやショッピングセンターに出かけ
高校あたりでは、地元の中の都会、柏とかのファストフードやファミレス、カラオケなどに出かけ、
高校を卒業した後、フリーターをしながら専門学校に通って、
卒業後も実家に住みながら地元でフリーターを継続。
しかし、バイト先の正社員はあまりにも忙しそうで完全に社畜。
そんな姿を見て、あんなにきついのは無理。

そんな若者が増えているということらしい。

個人的には、この郊外育ちの若者を馬鹿にしたような書き方には
若干反感を覚えるのだけれども、
まぁ、まさに郊外育ちの私にとってはイメージしやすいと言えばしやすい。

で、かなり端折っているので詳細は本を読んでほしいのですが、
要するに、そういう下流化が進むとどうなるのか。
下流化が進むと同時に、一部の上流層の固定化も起きているので、
格差が拡大するということになる。
で、マーケティング的には、
高度経済成長期のように、社会の中流に向けて同じものを大量に作ればよかった時代は終わり、
それぞれの階層にあった、簡単に言えば
下流向けのマクドナルドの需要も伸びるけれど、
上流向けの高級ハンバーガーの需要も伸びるし、
ちょっとおしゃれなサンドウィッチなどの需要も伸びるというような
より個性化した商品戦略が必要で、
特に、中流から上流の「シンプルだけどセンスの良さ」を求めるような
そんなところをヒットさせる戦略が日本企業には欠けているのだといった
指摘につながる。
一方で、社会の格差が広がった場合、
次の世代ではより格差が固定化し、社会の分断を招くとし、
ユニクロの地域限定正社員制度などの
「転勤はいやだし、バリバリ働きたいとは思わない」といった層をうまく取り込む
雇用制度が必要になるのではないかとしている。

あるいは、国立大学の授業料を無料にして勉強へのインセンティブを強めたり、
より困難な課題の多い学校に優秀な教員を配置したりすることも
必要だという。

こちらもやはり、社会構造の変化に対応して
雇用制度や教育制度なども変える必要があるという主張だ。

この主張にも大いに賛同したい。

ただ、賛成が得られるかは微妙だ。

この辺は何とも言えないが、例えば現在のパート・アルバイト・契約社員といった人々を
正社員と同じように扱うけれど、
労働時間などは現状と同じように短くし、給料も現在の正社員よりは少し安くする。
その代り、転勤がなかったり、残業をなくしたりする。
こういう制度を、現在の正社員はどう思うだろうか。

これも、完全に憶測だが、「ずるい」と思うのではないだろうか。
「俺は必死に就活をして、必死に働いて現在の地位を得たのに、
ろくに就活もしないで、それなりにしか働かず、転勤もないし残業もないとか
なんなの?」
とならないだろうか。
ここは微妙だけれど、バリバリ働き稼ぎたい人からの反発はないだろうが、
実は、正社員の多数派、ほどほどに働きほどほどに稼いでほどほどの生活をしたい、
それを手に入れるために頑張って働いている
という感覚が近いのではないだろうか。
だとすると、そういった人々には、
給与以外の待遇は自分たちと同じようなもの(例えば福利厚生や定期昇給や終身雇用など)で、
勤務体系が自分たちよりも「ラク」な正社員をそう簡単に受け入れられるかどうかは
なんとも微妙なところな気がする。

これは、現在の社会保障対策に関してもそうだけど、
日本人は、意外と経済的な合理性ではないところで動いているのではないだろうか。

どう考えても格差の問題、少子化問題、未婚化・晩婚化、年金問題などは
どうにかしなければならない。
しかし、先に述べた「誰がリスクを引き受けるのか」という問題以外に、
例えば格差なら、「現在の地位は、今までの自分の人生の象徴」
「子どもの存在は、一人前の人間としての自分を証明するもの」
「結婚は自分のステイタス」
「年金は、今までの自分の存在を証明してくれるもの」
だったりしないだろうか。

正社員は、単に「労働力に対してより高い賃金をもらい、雇用を約束されている」だけでなく、
「あなたは今まで頑張ってきましたね。あなたはこの社会に必要な人ですよ。」と
認められていることにもなる。

それに対して、現在の非正規雇用と呼ばれている人たちは
単に「労働力を提供して対価を得る人」という存在。

そこには、賃金格差など以上に埋めがたい溝があるようにも思える。

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2011年12月23日

最近読んだ本

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小林美希
『ルポ職場流産』
岩波書店 2011年

働く女性と流産をテーマに、
現在の日本の労働環境がさまざまな点で
「女性が安心して子どもを産める環境」にないのではないか、
その結果、無理をして労働を続けることで
結果的に失われている命があるのではないのだろうか
ということをさまざまな現場からリポートする。
非正規雇用からキャリアウーマンまで、
あらゆる職場に存在する出産をめぐる壁を
描き出した一冊。

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山田昌弘
『なぜ若者は保守化するのか』
東洋経済新報社 2009年

保守化といっても「右傾化」とは少し違う、
むしろ現在はやりの表現では「内向き志向」の方が適切かもしれない。
私が読むたびに感動を覚える山田先生の一冊。
雑誌のコラムを本にしたものなのでコンパクトにまとまっていて読みやすい。
現在の日本の労働、家族などの社会環境が
いかに若者を保守的に、特に経済的、家庭的に
表現を変えれば「生活保守」的にしているかということを描き出し、
若者をバッシングするのではなく、
そのような社会の変化に対応しつつ、「若者らしさ」を取り戻すために
社会全体の構造を転換することの必要性を、
あるいは、社会の構造が転換していることを訴えかける一冊。


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三浦展
『下流社会 第3章 オヤジ系女子の時代』
光文社新書553 2011年

こちらは若者の「下流化」を描き出している三浦先生の著書。
「オヤジ系女子」に焦点を当てた一冊。
最近勤務先でも「オヤジ」という言葉をよく耳にする。
勤務先と言っても、若手の社員にうざがられているような
本物の「オヤジ」がいるのではなく
「オヤジ」と呼ばれているのは女子中学生。
こちらの三浦先生も社会の構造の変化が従来のような「女性像」を転換させ、
その結果、女性の「オヤジ化」が特に若い世代で進行していると分析する。
なるほど、内容を読んでみると頷ける、というか「それって当たり前じゃん」というようなことが
ずらずらと書いてある。
アウトドアに関心を持つ女子、寺社仏閣、世界遺産などの文化に興味を持つ女子、
鉄道、飛行機、釣り…趣味の幅は広く、
日本や日本の伝統、レトロのなものやスピリチュアルなものに興味を抱く女子。
ファッションなどはそこそこに「ゆるくてラク」な感じのものを好み、
裏道や横丁、その辺のありふれた名もない道や神社、温泉などを好み、
チェーン店ではないような小さな居酒屋でエイひれや焼鳥を食べる。

これが、従来の女性像では捉えがたい「オヤジ系女子」の一部分らしい。
従来の女性とは、「男性目線で着飾って、百貨店などでファッションにお金をつぎ込み
オシャレなものなどに関心を抱く」そんな女性像だそうだ。

で、著者は「高学歴化や働く女性の増加、価値観の多様化やライフスタイルの変化」などが
女性の好みや趣味にも影響を与えているので、
そういった女性の好みや変化を敏感に捉えることが
これからのビジネスの成功の鍵だというのである。
それによれば「画一的なホテルより古民家を改装した宿」
「チェーン店より地元の食材を扱った少しレトロな感じの居酒屋」
なんかがこれからは求められるのではないかということらしい。

しかし、大量生産大量消費大量廃棄時代が否定された時期に幼少期を過ごした若者からすれば
みんながもっているものを持つのではなく、
個性化、個別化、少し高くても価値のあるもの、など多様な価値観に基づき
行動するのはある意味では当たり前。
むしろ、そんなことに気づかないということの方が謎だけど、
きっと、そういう価値観の変化をとらえきれないか、
自分の価値観が否定されるため、転換するのが難しいんだろうか。

商業的に言えば、恐らく、価値観が似ていて
「大ヒット商品」を高値で買ってくれたかつての状況の方が
簡単に儲かるのだろう。
一方、例えば安い高速バスでやってきて、街歩きをして寺社仏閣を回るような
自然環境や景観、雰囲気を味わうだけで満足するようになられると
せいぜい食べ歩きくらいしか出費がない。
つまり、お金をなかなか落としてくれない、あるいは単価が低いから、
これは大問題ということになるのかもしれない。

これは、自然環境の価値や景観の価値を論ずるときと似ている。
「で、結局景観を守るとどんな経済効果があるの?」ということになる。
「だったら高層ビルを建てた方が経済効果があるじゃない」となる。
しかし、「価値観の多様化」や「持続可能性」が叫ばれた時代を経験している若者の
「経済効果?そこそこでいいじゃん」という下流志向が
確実に増えているのは間違いなく、
それをうまく捉えて、適応する方が将来性があるかもしれない。
現に、
「ほどほどの収入を得てほどほどに時間が持てて
それなりに人間関係が築けてそれなりに生きてゆける」
そんな人生がいいという若者は実は多数派になりつつあるはずである。


うーん、早混にいると、
まさに「オヤジ系女子」と関わることが多かったから
そう思うんだろうか(笑)

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2011年12月18日

明日、08が引退する。

明日は早混の定演。
まだ若々しく、かわいかった1年生、08が乗る最後の定演。

彼らと一緒にモツレクを歌った2008年の定演の前の夜、
果たしてどんな気持ちだったろうか。
翌日の集合時間に遅れないように気が張っていたし、
差し入れを作っていたような気もするけれど、
4年間の早混生活を終えるにあたって、
いろいろな思いが交錯していたような気がする。

そんな2008年に、まだ1年生だった08が、
明日最後の定演を迎える。
08も、3年前の自分たちのような夜を過ごしていると思うと、
なんだか不思議な気分がしてくる。

普通はあまり関わることのできない新入生と、
総務という立場ややたらコマの出るサブリという立場で
きっと普通以上に関わることができたのは、
今思うと、とても幸せなことだったんだろうなぁと思う。

卒団して関わる機会はどんどん減ってしまったけれど、
今でも会えば絡んでもらえるのは、幸せ。

時間が経つのは早いもので、
明日で自分が在籍していた時の仲間が
みんな現役を引退する。
3年経ったけれど、卒団するのと似たような感覚。


08は今夜、どんな思いで過ごしているのかな。



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2011年11月28日

狭山茶2010

新木のスーパーに行ったら
お茶のコーナーにこんな狭山茶がありました。

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もうすぐ2011年も終わりだというのに、
わざわざ「2010年度産茶葉使用」というシールが貼ってある。

狭山茶は原発の影響で規制値超えのセシウムを検出する銘柄が相次ぎ、
狭山茶ブランド全体への信頼が揺らぎ
中には倒産する企業もでているところ。
2010年度産茶葉であれば放射性物質の影響もないからということだろうか、
あるいは「狭山茶の新茶」では売れないからだろうか。


福島市内の米からも規制値を超える放射性セシウムが検出され、
やはり食の安全という面からは慎重にならざるを得ない。

しかし、狭山茶農家や稲作農家に罪はないわけで、
ここはやはり、しっかりとした保証をしたうえで怪しいものを出さないという措置が
もっと真剣に考えられるべきだろう。


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2011年11月27日

今週読了

テストが近づいてきました。
数学や英語に比べるとどうしても脇に追いやられがちな社会科。
みんなちゃんと勉強してくれるかなぁ…

加藤久和著
『世代間格差』
ちくま新書930 2011年

年金をはじめとする社会保障。
現在受給している世代と、若者の間では
負担する割合に大きな格差が生じている。
そもそも、世代間格差は問題なのか、
問題だとしたらどうやって解決すればよいのか、
世界ではどうなっているのか、
そんなことがコンパクトにまとめられた一冊。

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河合隼雄著
『大人になることのむずかしさ』
岩波書店 1996年

大人になるときにぶつかる様々な壁、
これを乗り越え、一人の人間として自立してゆくために、
周囲の大人は、子どもをどのように見て、
そして、どのように支援してゆくべきなのか。

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橘木俊詔著
『いま、働くということ』
ミネルヴァ書房 2011年

非正規労働者の増加など、労働の多様化が進んでいる。
恐らく、一般にイメージされるよりも進んでいて、
現在では働いている人の40%が非正規。
もはや少数派ではないのである。
そんな、さまざまな働くことをめぐる問題がある中で、
働くこととは、あるいは、働かないこととは何かということを
さまざまな角度から検証。
ちょうど良い働き方を探る一冊。

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2011年11月20日

夜明け

出勤日は毎日朝5:51の二番列車に乗っています。
最近は随分、日の出が遅くなってきたので、
ちょうどこんな感じ。

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駅のコンコースから東の空(印西方面)を撮ってみました。
上野行の列車が入線しており、成田方面のホームの明かりがひときわ目立ちます。
東の空からはゆっくりと太陽が顔を出そうというところ。
その周りがオレンジ色に染まっており、
さらに、深い青というグラデーション。
ところが、これが180度振り返って西を見ると、
まだ夜中のように真っ暗なんだから不思議です。

しかし、この列車で東京まで通う高校生が何人もいるのだから、
すごいですね。



先週読了

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朝日新聞教育チーム
『いま、先生は』
岩波書店 2011年

朝日新聞の連載を加筆・修正したもの。
教員(特に東京都の公立学校)の置かれている過酷な状況をレポートしている。
いつからこんな学校になってしまったのか。
少なくとも10年くらい前まではもっと風通しが良かった気がするけれど…

でも、これは一般企業も同じなのかも。
だからこそ、ねたみや僻みよりも連帯に向かえばよいのだけど。

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傳田健三著
『若者の「うつ」』
ちくまプリマ―新書117 2009年


一見ただの甘えにも見えてしまう「新型うつ」が増えているそうだ。
「うつ」についての評価は人によってさまざまなのかもしれない。
「そんなもの昔は病気じゃなかった」
「みんな乗り越えてきた。ただの甘えだ」
「若いうちからもっと厳しくしつければいけない」
そういった意見も根強いように思う。

確かに、新たな「病気」の類型を作れば、
それまでは「性格」の問題とされていたものが「病気」として計上されるようになるのは確かだが、
一方で、本当にそれは精神論的なもので変わるのか、疑問だ。
著者はうつが増えた原因に、社会の変化、
特に、産業構造の変化を挙げている。
即ち、第三次産業、特にサービス産業の増加である。
サービス水準が高いと言われる日本において、
サービス業では、さまざまな人間と適切に関わることが求められ、
ストレスを感じなければならない場面が社会構造的に増えてきているという指摘である。

確かに、一理ある指摘である。
であれば、やはり、それは「社会」の問題でもあるはずである。
精神論に走るのは、それがそういった問題を除去し克服してゆこうというのではなく、
要するに、「弱く」「卑怯」だとみなした人間をたたくことによって、
弱さを悪いものとしてきた自分の考えを正当化しようというものにすぎないのではないのだろうか。

社会の構造の変化が変えられないのならば、
真剣に向き合い、その構造の問題点を克服することこそが求められるのではないかと思う。

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2011年11月13日

タブノキの発芽

夏の終わりに近くの神社からいただいてきた
タブノキの実が発芽しました。

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ここ2日間尋常じゃないくらい腰が痛いです。
とりあえず、火曜までには何とか治ってほしいのだけど…

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2011年11月07日

奏楽彩

本日(というか昨日)は奏楽彩に行ってきました。

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そして、はじめて奏楽彩をフルで見ました。
去年はグリーと早混と最後だけ、おととしは早混だけしか見ていないので
ワセオケを含め通してみるのは今回が初めて。
普段オーケストラとか聞かないし、
結構いい機会になりました。

早混の演奏は、いつものように柔らかく心地よいものでした。
09の特徴なのか、
非常に聞いていて心地よい、
そんな安心感というか、柔らかさ、しなやかさをいつも感じます。
今回も同じように、とても心地よい演奏でした。

そして、今回こそはと、現役の皆さんの顔を拝むために
少し前の方に陣取ってみました。
光の加減と位置の関係であまり見えない位置もありましたが、
現役の皆さんが楽しそうに歌う姿を見ることができてよかったです。
08の人たちにとっては、残すところ
定演とフェアウェルだけ。
しっかりと顔を拝ませていただきました(笑)

やっぱりこうやって時々後輩たちの活躍を見ると
なんだか元気が出ますね!


現役のみなさん、09のみなさんお疲れ様でした!

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2011年11月06日

昨日読了

昨日読了

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池上彰著
『知らないと損する池上彰のお金の学校』
朝日新書317 2011年

わかりやすく簡潔に書かれた一冊。
簡単なので非常に短時間で読むことができるが、
現在の問題に即して、お金に関する基本的な事柄が
書かれている。
とはいっても、簡潔すぎるので、
じっくり読みたい人にとっては少し物足りないかも。


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2011年11月04日

読書の秋

昨日読了

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橘木俊詔著
『女女格差』
東洋経済新報社 2008年

男女格差を扱う本は多々あるものの、
女性と女性の間に存在する格差を分析したものがなかった、
ということで、格差社会論では有名な橘木先生が女性間に存在する格差を
さまざまな指標を用いて分析したもの。

とはいえ、さまざまな分析の結果、
やはりそこには男女格差、あるいは男性の格差が
大きな要因として関係することもわかってきたり。



本日読了

F1001948

橘木俊詔・浜矩子
『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない』
朝日新書319 2011年

世界第二位の経済大国をアイデンティティにしていたものの
GDPはついに中国に抜かれて世界第三位に。
パニックに陥ったかのように、
あるいはヒステリーを起こしたかのように
「再び経済成長を」と叫ぶものの、
ではいったいどうやって?このグローバル化の時代に?と言われると
答えを出すのは簡単ではない。

そんななか、「もう十分成長したんだから、
成長の果実を十分に享受しながら老いてゆけばいいじゃないか、
そういう考えがあったってよいじゃないか」というユニークな提唱。

バブル期以降の「豊かさとは何か」という問いに似ているかもしれないが、
よくわからない、「成長の強迫観念」にとらわれた現代の日本人が、
当時の「経済的な豊かさじゃない豊かさもあるんじゃないか」という主張と同じように
別に衰退してもいいじゃないかという主張を受け入れられるかは疑問。



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池上彰著
『先送りできない日本』
角川oneテーマ21 C-201 2011年

先ほどの橘木&浜の主張とは同じような認識に立ちながらも違う主張。
同じ認識というのは、
「日本はもはや、追い付け追い越せの成長型社会ではなく、
十分に成熟し、追いかけられる成熟型社会になったのだ」ということ。
それでも、経済成長したいのならば、
しっかりと海外に打って出てゆくことを主眼に
経済活動を行わないといけない。
そういう、追い付かれる側の社会構造に日本がなれるかどうかがポイント。
こういう主張だ。
中国や韓国は日本をお手本にしてきた。
だから、現在の中国や韓国の成長はいわば当然のこと。
ちょうど、日本が欧米を手本にしてきた20年くらい前までの状況と同じ。
あとは、追い付かれる側になった日本が、
世界でどのような立場を演じるのか、
いままで追い付く側だったために、うまく立ち回れていなかったが、
今こそ、問題を先送りせずに、大きく立ち位置を転換する必要がある。
というような主張。

この場合、キーになるのはマスコミと教育か。



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2011年11月02日

不思議な美

近くの踏切の工事現場。
クレーンをはじめとする工事用の機材と上がっている遮断機が
照明に照らされていました。
ちょっと画像が暗いですが…

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不思議な美しさ。

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2011年10月29日

読了

昨日読了

F1001943

吉本佳生著
『日本経済の奇妙な常識』
講談社現代新書2128 2011年

さまざまなデータを丹念に見ることによって
日本経済の「常識」が、実は「常識」ではないことを明らかにしてゆく一冊。
デフレの原因を「賃下げ」に求め、デフレからの根本的な脱却のためには
「賃上げ」が必要であることを述べている。

こういう本を読めば読むほど、
マスコミを中心に流される一方的な情報によって、
なんとなくの世論的「空気」が作られ、
本当に必要な議論がオープンにはなされないという
日本全体の思考停止、これをどうにかするには
何が必要なのか…
そんなことを思います。


F1001944

村井吉敬著
『エビと日本人』
岩波新書 新赤版20 1988年

本日読了

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村井吉敬著
『エビと日本人Ⅱ』 
岩波新書 新赤版1108 2007年


1988年の方は「エビ」をキーとして
日本のバブルが世界にどう影響しているのか、
世界経済のゆがみ、食料生産のゆがみ、
そういったテーマを扱ったものである。
一方で2007年の方は、「エビ」のその後を追いかけ、
グローバル経済が世界中にどのような影響を与えているのか、
食料生産や自然環境にどのような影響を与えているのか
を追った本。

いずれも、結局出来合いの製品かせいぜいパックされた状態でしか
見えてこなくなっているさまざまな食料の裏側に
どのような生産現場があるのか、
食卓に一つの食糧が来るまでにどのような過程があるのかを追うことで、
さまざまな問題が見えてくるということを物語っている。


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2011年10月24日

外国人を見る日本人の「日本人観」

本日読了

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田中宏著
『在日外国人 新版』
岩波新書 新赤版370 1995年

少し古い本ではあるが、
今度、在日外国人問題について授業するので読んでみました。

さまざまな細かな問題はとりあえずおいておいて感じたこと。

「一体、日本人は外国人をどのように見ているのだろうか。」

私なりに感じ取っている最近の日本の「空気」をちょっと表現してみよう。

まず、第一にどうやら日本人の中で「外国人」は大きく2つに分類されるようだ。
「自分たちと対等」な「先進国の外国人」なのか
「自分たちが優位に立つ」「レベルの低い国の外国人」なのか。

同じカテゴリーの外国人でも、欧米出身の外国人とアジア出身の外国人の間に
日本人の「外国人観」の差があるということはなんとなくわかる。

さらに、そういった、いわば「自分たちより劣位にある」とみなした外国人の中にも
「かわいそう」な外国人と、「邪魔」な外国人に分類されるらしい。
「かわいそうな外国人」には救いの手を差し伸べたいが、
「邪魔な外国人」はできれば追い出したい。
そんな「空気」が漂っているように感じられる。

そして、中国・韓国出身の方々や在日韓国・朝鮮人と呼ばれる方々などが
この「邪魔な外国人」のカテゴリーに入りそうだ。
あるいは「不法滞在者」や「移民」もここに入るかもしれない。

「かわいそうな外国人」のカテゴリーに入りそうなのは、
政治的な理由で難民になった人や、亡命してきた人、あるいは子ども
などが入るだろうか。


詳細な分析がないではないかと言われてしまえばそこまでだが、
恐らく、日本人の外国人に対するこのような見方には
「外国人観」ではなく「日本人観」が影響している。
アジアの盟主であり、経済大国であり、他国より優れていることを
「日本人」のアイデンティティとして持ち続けているのではないだろうか。
高度成長が永遠に続く、経済大国としての地位が、経済発展が永遠に続く、
それらが消えてしまうのは怖い。
そんな「日本人観」を私たちは持っているのではないか。

経済的に豊かである「日本人」は、
貧しく、弱い立場にある「外国人」には寛大だ。
たくさんの支援を行い、救いの手を差し伸べる。
あぁ、「日本人」はなんて心の優しいひとたちなのだろうか。

ところが、そんな「日本人」は、
自分たちの「他のアジアの諸国より優越している」という日本人アイデンティティを脅かす存在には
非常に冷淡である。
救いの手を差し伸べていたはずの相手が豊かになると手のひらをかえして、
「日本の地位を脅かす」存在として扱う。

勿論、そんな日本人観は、明らかに日本人に経済的な余裕ができてからの話。
早くても1960年代後半、恐らくは1970年代後半以降の話だろう。
1980年代から1990年代にかけて、
さまざまな外国人をめぐる問題に対して
日本がそれまでと比べて比較的寛容になれた、
少なくとも、市民レベルで外国人問題が現在とは大きく異なる
「外国人支援」という方向で大きく振れていたのは、
日本人の豊かさから来る「寛容さ」だったのではないだろうか。

だからこそ、一億総中流が崩れ、多くの日本人の経済的な余裕とともに
心の余裕もなくなってゆく中で、
「かわいそう」だった外国人は、
「日本から工場を奪い」「日本人の仕事を奪い」「日本人の賃金を下げ」る存在へと変わり、
街中や学校にあふれ、目につくようになった東アジアの人々を見ては、
「なんとなく、日本が外国に脅かされているように」感じ、
秋葉原で家電製品をまとめ買いしたり、
日本の物件を買いあさる中国人の報道などを見ては、
「なんとなく、日本の地位が脅かされているように」感じるのではないか。

あくまでも、「日本人が救いの手を差し伸べる対象であってほしかった」のではないだろうか。
あくまでも、「感謝される」立場であり続けるはずではなかったのだろうか。

私自身は「かわいそう」という目線も必要だと思う。
そういった視点が多くの人の共感を生み、政府を動かすことや、
こと「お金」を動かすことには非常に重要だからだ。

しかし、「かわいそう」目線の危うさは、
「かわいそう」じゃなくなったときに、場合によっては
それが180度反転し、外国人排除の方向へと触れる可能性がある点にありそうである。
「かわいそう」目線は、あくまでも、「日本人」側からの目線であり、
当の外国人の感情やニーズ、あるいは権利などは
そこから抜け落ちやすいのである。


もっとも、そんなことを思いつつも、
「移民受け入れ」に何となく違和感を覚え、
「留学生が大学にあふれている」現状に違和感を覚え、
「街中に外国人があふれている」現状に違和感を覚えている自分がいる。

しかし、考えてみれば、なにも勝手に外国人が増えたわけではない。

外国人を雇い、あるいは入学させ、住まわせているのは
あくまでも日本人なのだ。
だからだろうか、外国人に対する「直感的な違和感」を訴えるのは
女性や若者の方が多いようにも見える。
企業や大学などの内部、ある程度の地位にいる人は、
外国人の存在なしには日本が回らない、
あるいは、自分たちが外国人を「利用している」という意識があるのかもしれない。
そういう地位にはやはり、ある程度の年齢以上の男性が多いのだろう。

どんなに大企業の社長たちや文部科学省のお偉いさんが「愛国心」を唱えたところで、
彼らは、「外国人」なしに現在の日本が回らないことを理解しているのだろう。
本音と建前をうまく使い分けているというかなんというか…。

それに比べれば、やはり普段企業のある程度の状況や
現在の日本の大学のおかれた状況などに触れる機会がなければないほど、
「外国人が増えた」という状況だけが目に留まり、
「本音」だけが表に出てくる傾向は大きくなるのだろう。

報道も大きな問題を生み出している要因だとは思うけれど。


さて、そのような現状で必要なのは何か。

これはやはり、相当数の外国人が日本に存在している
(勿論、相当数の日本人が外国にも存在している)という現状をまず認識し、
その上で、お互いが気持ちよく暮らして行けるためには
どのようなことが必要なのか、どこをどう改めるべきなのか、
といった議論ではないだろうか。

なんとなく「外国人がいるのはなんか気持ち悪い」
でも、あの人たちは「なんかいる」

あー、日本はいつの間に外国人だらけになったんだろう…

なんて思うのではなく、
その現状をしっかりと把握し、
共生してゆけるような社会の仕組みを早く構築することが重要であるはずである。


うん、まったくデータにも出典にも基づかない
非常に「感覚」だけで書き連ねた文章になりましたが、
そんなことを思いました。



drecom_puni_jp at 02:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!社会