2011年06月
2011年06月27日
再び先生モード
先週末は授業数が少なかったこともあって
いつもよりも授業準備に追われることがなく、
稲門会合唱団の練習に出て久しぶりに歌ったり、
図書館に籠って資料を探したりと、
久々に先生モードではない週末でした。
とかいいつつ、
お給料が入ったのをいいことに、
提出物に押すスタンプを買ってしまいました。
あんま提出物ないんですけどね(苦笑)
文房具には弱いので気をつけましょう。
さて、私の勤務校では中3の公民の学習の一環として
東京地方裁判所に公判傍聴に行っております。
生の刑事裁判を膨張して、生徒たちはさまざまなことを五感で感じ取ってくれるようで、
非常にためになる授業です。
私は毎週1クラスずつ、3週間で3クラスを引率しているのですが、
明日がその最後。
非常勤講師は基本的に授業しか持たないので、
引率とか結構楽しいんです(笑)
移動中にいろんな生徒と話をしたりして、
いろいろと学ばせてもらっています。
そうそう、先々週までは教育実習生が来ていて、
研究授業にも2つほど参加させてもらいました。
1つは普段受け持っているクラスの美術の授業で、
普段とは違う生徒の様子が見れて楽しかったです。
教育実習とか、つい昨日のことのようですが、
もう3年も経つんですね。
そんなわけで、明日から再び先生モード!
暑くなってきて集中力の維持が難しいですが、
そろそろ試験の足音も聞こえてきそうなので、
しっかり勉強してもらわねば。
いつもよりも授業準備に追われることがなく、
稲門会合唱団の練習に出て久しぶりに歌ったり、
図書館に籠って資料を探したりと、
久々に先生モードではない週末でした。
とかいいつつ、
お給料が入ったのをいいことに、
提出物に押すスタンプを買ってしまいました。
あんま提出物ないんですけどね(苦笑)
文房具には弱いので気をつけましょう。
さて、私の勤務校では中3の公民の学習の一環として
東京地方裁判所に公判傍聴に行っております。
生の刑事裁判を膨張して、生徒たちはさまざまなことを五感で感じ取ってくれるようで、
非常にためになる授業です。
私は毎週1クラスずつ、3週間で3クラスを引率しているのですが、
明日がその最後。
非常勤講師は基本的に授業しか持たないので、
引率とか結構楽しいんです(笑)
移動中にいろんな生徒と話をしたりして、
いろいろと学ばせてもらっています。
そうそう、先々週までは教育実習生が来ていて、
研究授業にも2つほど参加させてもらいました。
1つは普段受け持っているクラスの美術の授業で、
普段とは違う生徒の様子が見れて楽しかったです。
教育実習とか、つい昨日のことのようですが、
もう3年も経つんですね。
そんなわけで、明日から再び先生モード!
暑くなってきて集中力の維持が難しいですが、
そろそろ試験の足音も聞こえてきそうなので、
しっかり勉強してもらわねば。
2011年06月20日
実生栽培記 梅雨編。
最近では、平日は朝も早く帰りも遅いので
庭の植物たちを見る時間もありませんでした。
そんなわけで、今日は少し庭の様子を見たのですが、
気づかぬ間にだいぶ成長してくれているようです。
こちらはシラカシか何か(笑)
常緑樹のどんぐりの仲間のうちのどれかです。
同じく。でも葉の色が少し違う。
こんな感じ。きれいな鉢にでも移したら
観葉植物にでもなりそうなサイズ。
まだこれから芽を出そうというものもあります。
こちらも芽を出したばかり。
こちらは根を出したばかり。
2年目のレモンも玄関先で着々と新しい葉を出して成長しています。
こちらは1年目の柚子。一番大きいやつです。
王林。結構成長が遅いです。
こちらは最近芽が出た柿。
駅前の空き地に生えている柿の木が落とした柿の種を植えたところ
2本だけ芽を出しました。
こちらはカエデ。小さくてもちゃんと葉っぱはカエデの形。
なんだかミニチュアみたいです。
こちらはクヌギ(多分)。
ずいぶん大きく成長しまして、根っこが窮屈そう。
左は多分クヌギなんですが、右がクヌギとは少し幹の色が違う
なんだかよくわからないクヌギみたいな木です(笑)
葉っぱの上にはこんなにかわいいバッタの子どもがたくさん。
ほんと、大量に飛び回ってました。
実生の桃の木の葉っぱもどんどん開いています。
これは病気でもなんでもなく、
葉っぱって、最初は、真ん中からくっついて二つ折りになっていて、
だんだんこのように開いてゆくんですね。
桃の木にいた小さい来客はこちら。
これもたくさんいました。カマキリの子どもです。
こっちにも。
アジサイの花も咲きだしました。
現在の状況はこんな感じです。
2011年06月19日
ジョイントコンサート
本日は後輩の演奏会に行ってきました。
第51回のジョイントコンサート。
05が幹事をやった時が47回だったから
なんだかずいぶん年を取った気分ですね。
まぁ、あの07が勧誘した09がもう幹事学年なんだから、
そりゃ、年も取るわけですな。
第一生命ホールにジョイントを聴きに行くのは3回目。
1回目が入団したての時、2005年。
先輩方の演奏のきれいさにただただ感動した45回。
2007年には、幹事学年としてステージに乗りました。
03や07にはどんな風に見えていたんでしょう。そんな47回。
2回目は卒団したての時、2009年。
07がステージ上で指揮を振ったり歌ったりしている姿が
とても頼もしく、そしてとてもキラキラして見えた49回。
そんな07もいつの間にか客席側に一緒に座るようになり、
いよいよもって08しか直接知っている学年がいなくなった今回の51回。
ステージが大きく、六団がひしめきあう六連に比べ、
ジョイント、特に第一生命のジョイントは
客席とステージとが近く、ステージの意気込みがなんとなく伝わってきやすい、
そんな気がします。
卒団して初めて見た09年度のジョイントは、
本当に07の意気込みが伝わってきて、
それだけでひたすら感動したそんな記憶があります。
今年度のジョイントも、09はじめステージに乗っていた現役生の
ジョイントにかけてきた思いが伝わってくる演奏でした。
特に、今回は演奏が本当に緻密に作り上げられていたような気がしました。
パートバランスも近年まれにみるバランスの良さで、
一応後輩だという事実を差し引いても、
本当に素晴らしい演奏を聞かせてもらった、そんな気がします。
素直に感動しました!
今年度は、東日本大震災があったりした影響で、
さまざまな面で活動が大変だったと思いますが、
現役生の皆さん、本当にお疲れ様でした。
そして、素敵な演奏をありがとうございました。
忙しい中ステージに乗ってくれた08の皆さんも、
ありがとうございました。
これからの演奏会も楽しみにしています!
第51回のジョイントコンサート。
05が幹事をやった時が47回だったから
なんだかずいぶん年を取った気分ですね。
まぁ、あの07が勧誘した09がもう幹事学年なんだから、
そりゃ、年も取るわけですな。
第一生命ホールにジョイントを聴きに行くのは3回目。
1回目が入団したての時、2005年。
先輩方の演奏のきれいさにただただ感動した45回。
2007年には、幹事学年としてステージに乗りました。
03や07にはどんな風に見えていたんでしょう。そんな47回。
2回目は卒団したての時、2009年。
07がステージ上で指揮を振ったり歌ったりしている姿が
とても頼もしく、そしてとてもキラキラして見えた49回。
そんな07もいつの間にか客席側に一緒に座るようになり、
いよいよもって08しか直接知っている学年がいなくなった今回の51回。
ステージが大きく、六団がひしめきあう六連に比べ、
ジョイント、特に第一生命のジョイントは
客席とステージとが近く、ステージの意気込みがなんとなく伝わってきやすい、
そんな気がします。
卒団して初めて見た09年度のジョイントは、
本当に07の意気込みが伝わってきて、
それだけでひたすら感動したそんな記憶があります。
今年度のジョイントも、09はじめステージに乗っていた現役生の
ジョイントにかけてきた思いが伝わってくる演奏でした。
特に、今回は演奏が本当に緻密に作り上げられていたような気がしました。
パートバランスも近年まれにみるバランスの良さで、
一応後輩だという事実を差し引いても、
本当に素晴らしい演奏を聞かせてもらった、そんな気がします。
素直に感動しました!
今年度は、東日本大震災があったりした影響で、
さまざまな面で活動が大変だったと思いますが、
現役生の皆さん、本当にお疲れ様でした。
そして、素敵な演奏をありがとうございました。
忙しい中ステージに乗ってくれた08の皆さんも、
ありがとうございました。
これからの演奏会も楽しみにしています!
2011年06月12日
ニッポンに生きる
6月10日読了
共同通信社取材班編
『ニッポンに生きる』
現代人文社 2011年
本書は共同通信の連載配信記事を本にしたもの。
さまざまな境遇にある外国人、あるいは外国人を取り巻く人々への取材を通して、
現在の日本にはどのような外国人が
どのような事情を抱え、どのような心境で暮らしているのかを
描き出したもので、
非常に面白いものです。
現在日本には200万人もの外国人が暮らしており、
近年では、街角で外国の方々を見かけることも
そう珍しいことではなくなってきました。
しかし、一言で「外国人」と言っても、
日本に来た理由、日本にいる理由、
現在直面している状況、問題、
日本、日本人に対する思いなどはさまざまで、
とてもひとまとめに語ることはできません。
そのためにも、まさに、日本にいる外国の方々のことを
実際に知ることが、非常に大切になってきますね。
(勿論、本を読んだところでそれが完全に満たされるわけないですが。)
2011年06月05日
新潟&福島
お久しぶりです。
だいぶ放置しておりました。
この間、勤務校のテストがあったりで何かと忙しく
ネットすら接続しない日が結構あったりと、
充実しているようです(笑)
さて、先週の金土日月と新潟&福島に出かけてきました。
正確には金曜の夜から月曜の午後にかけてですが。
まず、土日は日本教育法学会という学会に参加するため
新潟大学まで出かけた次第です。
日本教育法学会では
法教育について、あるいは教育のナショナルミニマムについて
などなどの面白い議論がなされていました。
金曜日の夜には日の丸・君が代関係のシンポジウムもあったのですが、
残念ながらそちらには参加できず。
大阪ではついに条例化に至ったようで今後が懸念されます。
さて、そんなわけで学会には真面目に参加してきましたが、
やはりお出かけはお出かけ。
少し趣味要素も取り込んで出かけてきました。
まず、上野23:33発、急行能登にて糸魚川へ。
車両はもうかれこれ30年以上も走り続けているものです。
まだ東北新幹線なんかなかったころ、
母親が福島から上京してきたころからずっと走っているわけですね。
こういうアナログな表示もなかなか味があってよいです。
糸魚川には4:45頃到着。
右側の高架は建設中の北陸新幹線の物。
昔は常磐線でも毎日たくさん走っていた車両ですが、
最近は滅多にお目にかかれなくなりました。
昔、福島に帰るときに当時一往復だけ残っていた上野と秋田を在来線経由で
直通していた「つばさ」に乗った記憶があります。
さて、そんな糸魚川では時間をつぶすため、ちょいと駅前を散策。
徒歩5分くらい、すぐに日本海に到達しました。
日本海…です、一応。
いつみても、夜明け前の日本海というのは
なんだか郷愁を誘う、独特の雰囲気があります。
振り返ると白馬岳などの山々がそびえております。
雲の上から山頂がのぞいています。
なんだか山水画みたい。
糸魚川は相馬御風の出身地らしいです。
糸魚川で有名なのはなんといってもヒスイ。
改札の前にも勾玉のモニュメントが。
ホームにはヒスイの原石。
ジオパークを一度ゆっくり見て回りたいなぁと思ったりしています。
さて、糸魚川5:29発、大阪からの急行きたぐにで新潟へ。
こちらは同じ車両が座席にも寝台にもなるという
高度成長期の日本が生み出したスグレモノ車両。
もう40歳くらいだと思いますが。
重いせいか、安定感と静かさが半端なく、
座席でもゆっくり眠れます。
さて、そんな感じで8:30頃新潟駅に到着。
9:30から17:30まで学会、
翌日は9:30から16:30まで学会と目いっぱい勉強した後、
福島の実家にあいさつするために福島に向かったのですが、
あいにく、磐越西線が20:06発のため、
ゆっくりお土産などを見ながら夕飯に駅のおそばを食べていると
やってきたのはSL。ばんえつ物語号というイベント列車です。
つなげよう日本のロゴ。
黒い鉄の塊が真っ白な蒸気を吐き出すシーンが夜の暗さに映えます。
写真だとわかりませんが、
ものすごい音と匂いですが。
しかしまあ、なるほど、この黒い鉄の塊を
「かっこいい」と思う気持ちはわかるような気がします。
どこぞの製鉄会社が「いつだってかっこいいものは鉄でできている。」
なんてキャッチコピーを使っていましたが、
なるほど、確かに最近の銀色のアルミないしステンレスの車体も
昔はぴかぴかで近代的に見え、かっこよくも見えたモノですが、
どうも最近は安っぽさを感じずにはいられない。
鉄の塊ってのがかっこいいという感覚は素直な気がします。
さて、こちらはその陳腐で軽快な最近の気動車、
新潟20:06の磐越西線会津若松行最終列車で福島に入ります。
会津若松についたのは22:40頃。
その後駅前のホテルにチェックインし、ひと段落です。
このホテルにはすぐ隣に天然温泉のスーパー銭湯的なものがあり、
宿泊者は無料で利用できました。
一週間首を寝違えて痛かったんですが、
温泉に入ったら治ってしまいました(笑)
地元、会津乳業のビン牛乳の自販機もしっかりありました。
ヨーグルトまで売っていたのは驚き。
何とも言えないレトロな感じがこれまた最高です。
温泉のビラ。
こんなところにもぽぽぽぽーんの仲間たちが進出していました。
さて、翌日は朝食を食べてから、
磐越西線で郡山へ、そのあと東北本線で二本松へ向かい、
親戚の家へ行ったわけです。
地震の影響の話は聞いていましたが、実際に見てみると
なかなかの惨状でした。
山の斜面に建っているため、家の一部が傾き、
部屋に入っただけで、なんともトリックアートのような気持ち悪さを感じ、
さらに、窓がゆがんだため、サッシは常に一部が開いた状態。
斜面に盛土をした部分は結構沈んでいたり、
まだ寒いのでこたつが出しっぱなしだったりと。
それでも、物が流通するようになったので
だいぶ楽にはなったとのこと。
ほんの3時間程度でしたが、
ずっと訪問できなくて心配していたので、
まずは訪問できただけ、よかったといったところでしょうか。
夏休みにはもう一度行くつもりです。
ちなみに、東北には結構トタン屋根の家が多く、
親戚の家もそうなのですが、
そのおかげというか、瓦が落ちているような家があまりなかったのが
千葉のあたりの印象とはだいぶ違うところでした。
もっとも、帰りに見た須賀川から白河にかけてあたりは
だいぶひどい有様で、
特に鏡石周辺では家が崩れたり、アパートが崩れかけていたり、
がけが崩れていたりと見ただけでわかる惨状がそのままの状態でした。
もっとも、福島県民にとっては最大の懸念は放射能。
テレビには字幕でずっと放射能の数値が出ているし、
ラジオでも定期的に流れるし、といった具合です。
二本松は原発から55キロほどなので数値も高め。
親戚の家の庭には梅や柿の木が植わっていますが、
祖母が「今年は食べらんねぇのか」と寂しそうに言っていたのが印象的でした。
その後、東北本線と新幹線を乗り継ぎ、
大学へ戻り、授業に出て帰宅したわけですが、
親戚の方々一同で駅まで見送ってくれました。
まぁ、新幹線を使えば、我孫子からでも3時間程度なので、
休みがあればちょくちょく出かけてみようかと思います。
そんな先週の週末でした。
だいぶ放置しておりました。
この間、勤務校のテストがあったりで何かと忙しく
ネットすら接続しない日が結構あったりと、
充実しているようです(笑)
さて、先週の金土日月と新潟&福島に出かけてきました。
正確には金曜の夜から月曜の午後にかけてですが。
まず、土日は日本教育法学会という学会に参加するため
新潟大学まで出かけた次第です。
日本教育法学会では
法教育について、あるいは教育のナショナルミニマムについて
などなどの面白い議論がなされていました。
金曜日の夜には日の丸・君が代関係のシンポジウムもあったのですが、
残念ながらそちらには参加できず。
大阪ではついに条例化に至ったようで今後が懸念されます。
さて、そんなわけで学会には真面目に参加してきましたが、
やはりお出かけはお出かけ。
少し趣味要素も取り込んで出かけてきました。
まず、上野23:33発、急行能登にて糸魚川へ。
車両はもうかれこれ30年以上も走り続けているものです。
まだ東北新幹線なんかなかったころ、
母親が福島から上京してきたころからずっと走っているわけですね。
こういうアナログな表示もなかなか味があってよいです。
糸魚川には4:45頃到着。
右側の高架は建設中の北陸新幹線の物。
昔は常磐線でも毎日たくさん走っていた車両ですが、
最近は滅多にお目にかかれなくなりました。
昔、福島に帰るときに当時一往復だけ残っていた上野と秋田を在来線経由で
直通していた「つばさ」に乗った記憶があります。
さて、そんな糸魚川では時間をつぶすため、ちょいと駅前を散策。
徒歩5分くらい、すぐに日本海に到達しました。
日本海…です、一応。
いつみても、夜明け前の日本海というのは
なんだか郷愁を誘う、独特の雰囲気があります。
振り返ると白馬岳などの山々がそびえております。
雲の上から山頂がのぞいています。
なんだか山水画みたい。
糸魚川は相馬御風の出身地らしいです。
糸魚川で有名なのはなんといってもヒスイ。
改札の前にも勾玉のモニュメントが。
ホームにはヒスイの原石。
ジオパークを一度ゆっくり見て回りたいなぁと思ったりしています。
さて、糸魚川5:29発、大阪からの急行きたぐにで新潟へ。
こちらは同じ車両が座席にも寝台にもなるという
高度成長期の日本が生み出したスグレモノ車両。
もう40歳くらいだと思いますが。
重いせいか、安定感と静かさが半端なく、
座席でもゆっくり眠れます。
さて、そんな感じで8:30頃新潟駅に到着。
9:30から17:30まで学会、
翌日は9:30から16:30まで学会と目いっぱい勉強した後、
福島の実家にあいさつするために福島に向かったのですが、
あいにく、磐越西線が20:06発のため、
ゆっくりお土産などを見ながら夕飯に駅のおそばを食べていると
やってきたのはSL。ばんえつ物語号というイベント列車です。
つなげよう日本のロゴ。
黒い鉄の塊が真っ白な蒸気を吐き出すシーンが夜の暗さに映えます。
写真だとわかりませんが、
ものすごい音と匂いですが。
しかしまあ、なるほど、この黒い鉄の塊を
「かっこいい」と思う気持ちはわかるような気がします。
どこぞの製鉄会社が「いつだってかっこいいものは鉄でできている。」
なんてキャッチコピーを使っていましたが、
なるほど、確かに最近の銀色のアルミないしステンレスの車体も
昔はぴかぴかで近代的に見え、かっこよくも見えたモノですが、
どうも最近は安っぽさを感じずにはいられない。
鉄の塊ってのがかっこいいという感覚は素直な気がします。
さて、こちらはその陳腐で軽快な最近の気動車、
新潟20:06の磐越西線会津若松行最終列車で福島に入ります。
会津若松についたのは22:40頃。
その後駅前のホテルにチェックインし、ひと段落です。
このホテルにはすぐ隣に天然温泉のスーパー銭湯的なものがあり、
宿泊者は無料で利用できました。
一週間首を寝違えて痛かったんですが、
温泉に入ったら治ってしまいました(笑)
地元、会津乳業のビン牛乳の自販機もしっかりありました。
ヨーグルトまで売っていたのは驚き。
何とも言えないレトロな感じがこれまた最高です。
温泉のビラ。
こんなところにもぽぽぽぽーんの仲間たちが進出していました。
さて、翌日は朝食を食べてから、
磐越西線で郡山へ、そのあと東北本線で二本松へ向かい、
親戚の家へ行ったわけです。
地震の影響の話は聞いていましたが、実際に見てみると
なかなかの惨状でした。
山の斜面に建っているため、家の一部が傾き、
部屋に入っただけで、なんともトリックアートのような気持ち悪さを感じ、
さらに、窓がゆがんだため、サッシは常に一部が開いた状態。
斜面に盛土をした部分は結構沈んでいたり、
まだ寒いのでこたつが出しっぱなしだったりと。
それでも、物が流通するようになったので
だいぶ楽にはなったとのこと。
ほんの3時間程度でしたが、
ずっと訪問できなくて心配していたので、
まずは訪問できただけ、よかったといったところでしょうか。
夏休みにはもう一度行くつもりです。
ちなみに、東北には結構トタン屋根の家が多く、
親戚の家もそうなのですが、
そのおかげというか、瓦が落ちているような家があまりなかったのが
千葉のあたりの印象とはだいぶ違うところでした。
もっとも、帰りに見た須賀川から白河にかけてあたりは
だいぶひどい有様で、
特に鏡石周辺では家が崩れたり、アパートが崩れかけていたり、
がけが崩れていたりと見ただけでわかる惨状がそのままの状態でした。
もっとも、福島県民にとっては最大の懸念は放射能。
テレビには字幕でずっと放射能の数値が出ているし、
ラジオでも定期的に流れるし、といった具合です。
二本松は原発から55キロほどなので数値も高め。
親戚の家の庭には梅や柿の木が植わっていますが、
祖母が「今年は食べらんねぇのか」と寂しそうに言っていたのが印象的でした。
その後、東北本線と新幹線を乗り継ぎ、
大学へ戻り、授業に出て帰宅したわけですが、
親戚の方々一同で駅まで見送ってくれました。
まぁ、新幹線を使えば、我孫子からでも3時間程度なので、
休みがあればちょくちょく出かけてみようかと思います。
そんな先週の週末でした。