2011年11月
2011年11月28日
狭山茶2010
新木のスーパーに行ったら
お茶のコーナーにこんな狭山茶がありました。
もうすぐ2011年も終わりだというのに、
わざわざ「2010年度産茶葉使用」というシールが貼ってある。
狭山茶は原発の影響で規制値超えのセシウムを検出する銘柄が相次ぎ、
狭山茶ブランド全体への信頼が揺らぎ
中には倒産する企業もでているところ。
2010年度産茶葉であれば放射性物質の影響もないからということだろうか、
あるいは「狭山茶の新茶」では売れないからだろうか。
福島市内の米からも規制値を超える放射性セシウムが検出され、
やはり食の安全という面からは慎重にならざるを得ない。
しかし、狭山茶農家や稲作農家に罪はないわけで、
ここはやはり、しっかりとした保証をしたうえで怪しいものを出さないという措置が
もっと真剣に考えられるべきだろう。
お茶のコーナーにこんな狭山茶がありました。
もうすぐ2011年も終わりだというのに、
わざわざ「2010年度産茶葉使用」というシールが貼ってある。
狭山茶は原発の影響で規制値超えのセシウムを検出する銘柄が相次ぎ、
狭山茶ブランド全体への信頼が揺らぎ
中には倒産する企業もでているところ。
2010年度産茶葉であれば放射性物質の影響もないからということだろうか、
あるいは「狭山茶の新茶」では売れないからだろうか。
福島市内の米からも規制値を超える放射性セシウムが検出され、
やはり食の安全という面からは慎重にならざるを得ない。
しかし、狭山茶農家や稲作農家に罪はないわけで、
ここはやはり、しっかりとした保証をしたうえで怪しいものを出さないという措置が
もっと真剣に考えられるべきだろう。
2011年11月27日
今週読了
テストが近づいてきました。
数学や英語に比べるとどうしても脇に追いやられがちな社会科。
みんなちゃんと勉強してくれるかなぁ…
加藤久和著
『世代間格差』
ちくま新書930 2011年
年金をはじめとする社会保障。
現在受給している世代と、若者の間では
負担する割合に大きな格差が生じている。
そもそも、世代間格差は問題なのか、
問題だとしたらどうやって解決すればよいのか、
世界ではどうなっているのか、
そんなことがコンパクトにまとめられた一冊。
河合隼雄著
『大人になることのむずかしさ』
岩波書店 1996年
大人になるときにぶつかる様々な壁、
これを乗り越え、一人の人間として自立してゆくために、
周囲の大人は、子どもをどのように見て、
そして、どのように支援してゆくべきなのか。
橘木俊詔著
『いま、働くということ』
ミネルヴァ書房 2011年
非正規労働者の増加など、労働の多様化が進んでいる。
恐らく、一般にイメージされるよりも進んでいて、
現在では働いている人の40%が非正規。
もはや少数派ではないのである。
そんな、さまざまな働くことをめぐる問題がある中で、
働くこととは、あるいは、働かないこととは何かということを
さまざまな角度から検証。
ちょうど良い働き方を探る一冊。
数学や英語に比べるとどうしても脇に追いやられがちな社会科。
みんなちゃんと勉強してくれるかなぁ…
加藤久和著
『世代間格差』
ちくま新書930 2011年
年金をはじめとする社会保障。
現在受給している世代と、若者の間では
負担する割合に大きな格差が生じている。
そもそも、世代間格差は問題なのか、
問題だとしたらどうやって解決すればよいのか、
世界ではどうなっているのか、
そんなことがコンパクトにまとめられた一冊。
河合隼雄著
『大人になることのむずかしさ』
岩波書店 1996年
大人になるときにぶつかる様々な壁、
これを乗り越え、一人の人間として自立してゆくために、
周囲の大人は、子どもをどのように見て、
そして、どのように支援してゆくべきなのか。
橘木俊詔著
『いま、働くということ』
ミネルヴァ書房 2011年
非正規労働者の増加など、労働の多様化が進んでいる。
恐らく、一般にイメージされるよりも進んでいて、
現在では働いている人の40%が非正規。
もはや少数派ではないのである。
そんな、さまざまな働くことをめぐる問題がある中で、
働くこととは、あるいは、働かないこととは何かということを
さまざまな角度から検証。
ちょうど良い働き方を探る一冊。
2011年11月20日
夜明け
出勤日は毎日朝5:51の二番列車に乗っています。
最近は随分、日の出が遅くなってきたので、
ちょうどこんな感じ。
駅のコンコースから東の空(印西方面)を撮ってみました。
上野行の列車が入線しており、成田方面のホームの明かりがひときわ目立ちます。
東の空からはゆっくりと太陽が顔を出そうというところ。
その周りがオレンジ色に染まっており、
さらに、深い青というグラデーション。
ところが、これが180度振り返って西を見ると、
まだ夜中のように真っ暗なんだから不思議です。
しかし、この列車で東京まで通う高校生が何人もいるのだから、
すごいですね。
先週読了
朝日新聞教育チーム
『いま、先生は』
岩波書店 2011年
朝日新聞の連載を加筆・修正したもの。
教員(特に東京都の公立学校)の置かれている過酷な状況をレポートしている。
いつからこんな学校になってしまったのか。
少なくとも10年くらい前まではもっと風通しが良かった気がするけれど…
でも、これは一般企業も同じなのかも。
だからこそ、ねたみや僻みよりも連帯に向かえばよいのだけど。
傳田健三著
『若者の「うつ」』
ちくまプリマ―新書117 2009年
一見ただの甘えにも見えてしまう「新型うつ」が増えているそうだ。
「うつ」についての評価は人によってさまざまなのかもしれない。
「そんなもの昔は病気じゃなかった」
「みんな乗り越えてきた。ただの甘えだ」
「若いうちからもっと厳しくしつければいけない」
そういった意見も根強いように思う。
確かに、新たな「病気」の類型を作れば、
それまでは「性格」の問題とされていたものが「病気」として計上されるようになるのは確かだが、
一方で、本当にそれは精神論的なもので変わるのか、疑問だ。
著者はうつが増えた原因に、社会の変化、
特に、産業構造の変化を挙げている。
即ち、第三次産業、特にサービス産業の増加である。
サービス水準が高いと言われる日本において、
サービス業では、さまざまな人間と適切に関わることが求められ、
ストレスを感じなければならない場面が社会構造的に増えてきているという指摘である。
確かに、一理ある指摘である。
であれば、やはり、それは「社会」の問題でもあるはずである。
精神論に走るのは、それがそういった問題を除去し克服してゆこうというのではなく、
要するに、「弱く」「卑怯」だとみなした人間をたたくことによって、
弱さを悪いものとしてきた自分の考えを正当化しようというものにすぎないのではないのだろうか。
社会の構造の変化が変えられないのならば、
真剣に向き合い、その構造の問題点を克服することこそが求められるのではないかと思う。
最近は随分、日の出が遅くなってきたので、
ちょうどこんな感じ。
駅のコンコースから東の空(印西方面)を撮ってみました。
上野行の列車が入線しており、成田方面のホームの明かりがひときわ目立ちます。
東の空からはゆっくりと太陽が顔を出そうというところ。
その周りがオレンジ色に染まっており、
さらに、深い青というグラデーション。
ところが、これが180度振り返って西を見ると、
まだ夜中のように真っ暗なんだから不思議です。
しかし、この列車で東京まで通う高校生が何人もいるのだから、
すごいですね。
先週読了
朝日新聞教育チーム
『いま、先生は』
岩波書店 2011年
朝日新聞の連載を加筆・修正したもの。
教員(特に東京都の公立学校)の置かれている過酷な状況をレポートしている。
いつからこんな学校になってしまったのか。
少なくとも10年くらい前まではもっと風通しが良かった気がするけれど…
でも、これは一般企業も同じなのかも。
だからこそ、ねたみや僻みよりも連帯に向かえばよいのだけど。
傳田健三著
『若者の「うつ」』
ちくまプリマ―新書117 2009年
一見ただの甘えにも見えてしまう「新型うつ」が増えているそうだ。
「うつ」についての評価は人によってさまざまなのかもしれない。
「そんなもの昔は病気じゃなかった」
「みんな乗り越えてきた。ただの甘えだ」
「若いうちからもっと厳しくしつければいけない」
そういった意見も根強いように思う。
確かに、新たな「病気」の類型を作れば、
それまでは「性格」の問題とされていたものが「病気」として計上されるようになるのは確かだが、
一方で、本当にそれは精神論的なもので変わるのか、疑問だ。
著者はうつが増えた原因に、社会の変化、
特に、産業構造の変化を挙げている。
即ち、第三次産業、特にサービス産業の増加である。
サービス水準が高いと言われる日本において、
サービス業では、さまざまな人間と適切に関わることが求められ、
ストレスを感じなければならない場面が社会構造的に増えてきているという指摘である。
確かに、一理ある指摘である。
であれば、やはり、それは「社会」の問題でもあるはずである。
精神論に走るのは、それがそういった問題を除去し克服してゆこうというのではなく、
要するに、「弱く」「卑怯」だとみなした人間をたたくことによって、
弱さを悪いものとしてきた自分の考えを正当化しようというものにすぎないのではないのだろうか。
社会の構造の変化が変えられないのならば、
真剣に向き合い、その構造の問題点を克服することこそが求められるのではないかと思う。
2011年11月13日
2011年11月07日
奏楽彩
本日(というか昨日)は奏楽彩に行ってきました。
そして、はじめて奏楽彩をフルで見ました。
去年はグリーと早混と最後だけ、おととしは早混だけしか見ていないので
ワセオケを含め通してみるのは今回が初めて。
普段オーケストラとか聞かないし、
結構いい機会になりました。
早混の演奏は、いつものように柔らかく心地よいものでした。
09の特徴なのか、
非常に聞いていて心地よい、
そんな安心感というか、柔らかさ、しなやかさをいつも感じます。
今回も同じように、とても心地よい演奏でした。
そして、今回こそはと、現役の皆さんの顔を拝むために
少し前の方に陣取ってみました。
光の加減と位置の関係であまり見えない位置もありましたが、
現役の皆さんが楽しそうに歌う姿を見ることができてよかったです。
08の人たちにとっては、残すところ
定演とフェアウェルだけ。
しっかりと顔を拝ませていただきました(笑)
やっぱりこうやって時々後輩たちの活躍を見ると
なんだか元気が出ますね!
現役のみなさん、09のみなさんお疲れ様でした!
そして、はじめて奏楽彩をフルで見ました。
去年はグリーと早混と最後だけ、おととしは早混だけしか見ていないので
ワセオケを含め通してみるのは今回が初めて。
普段オーケストラとか聞かないし、
結構いい機会になりました。
早混の演奏は、いつものように柔らかく心地よいものでした。
09の特徴なのか、
非常に聞いていて心地よい、
そんな安心感というか、柔らかさ、しなやかさをいつも感じます。
今回も同じように、とても心地よい演奏でした。
そして、今回こそはと、現役の皆さんの顔を拝むために
少し前の方に陣取ってみました。
光の加減と位置の関係であまり見えない位置もありましたが、
現役の皆さんが楽しそうに歌う姿を見ることができてよかったです。
08の人たちにとっては、残すところ
定演とフェアウェルだけ。
しっかりと顔を拝ませていただきました(笑)
やっぱりこうやって時々後輩たちの活躍を見ると
なんだか元気が出ますね!
現役のみなさん、09のみなさんお疲れ様でした!
2011年11月06日
2011年11月04日
読書の秋
昨日読了
橘木俊詔著
『女女格差』
東洋経済新報社 2008年
男女格差を扱う本は多々あるものの、
女性と女性の間に存在する格差を分析したものがなかった、
ということで、格差社会論では有名な橘木先生が女性間に存在する格差を
さまざまな指標を用いて分析したもの。
とはいえ、さまざまな分析の結果、
やはりそこには男女格差、あるいは男性の格差が
大きな要因として関係することもわかってきたり。
本日読了
橘木俊詔・浜矩子
『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない』
朝日新書319 2011年
世界第二位の経済大国をアイデンティティにしていたものの
GDPはついに中国に抜かれて世界第三位に。
パニックに陥ったかのように、
あるいはヒステリーを起こしたかのように
「再び経済成長を」と叫ぶものの、
ではいったいどうやって?このグローバル化の時代に?と言われると
答えを出すのは簡単ではない。
そんななか、「もう十分成長したんだから、
成長の果実を十分に享受しながら老いてゆけばいいじゃないか、
そういう考えがあったってよいじゃないか」というユニークな提唱。
バブル期以降の「豊かさとは何か」という問いに似ているかもしれないが、
よくわからない、「成長の強迫観念」にとらわれた現代の日本人が、
当時の「経済的な豊かさじゃない豊かさもあるんじゃないか」という主張と同じように
別に衰退してもいいじゃないかという主張を受け入れられるかは疑問。
池上彰著
『先送りできない日本』
角川oneテーマ21 C-201 2011年
先ほどの橘木&浜の主張とは同じような認識に立ちながらも違う主張。
同じ認識というのは、
「日本はもはや、追い付け追い越せの成長型社会ではなく、
十分に成熟し、追いかけられる成熟型社会になったのだ」ということ。
それでも、経済成長したいのならば、
しっかりと海外に打って出てゆくことを主眼に
経済活動を行わないといけない。
そういう、追い付かれる側の社会構造に日本がなれるかどうかがポイント。
こういう主張だ。
中国や韓国は日本をお手本にしてきた。
だから、現在の中国や韓国の成長はいわば当然のこと。
ちょうど、日本が欧米を手本にしてきた20年くらい前までの状況と同じ。
あとは、追い付かれる側になった日本が、
世界でどのような立場を演じるのか、
いままで追い付く側だったために、うまく立ち回れていなかったが、
今こそ、問題を先送りせずに、大きく立ち位置を転換する必要がある。
というような主張。
この場合、キーになるのはマスコミと教育か。
橘木俊詔著
『女女格差』
東洋経済新報社 2008年
男女格差を扱う本は多々あるものの、
女性と女性の間に存在する格差を分析したものがなかった、
ということで、格差社会論では有名な橘木先生が女性間に存在する格差を
さまざまな指標を用いて分析したもの。
とはいえ、さまざまな分析の結果、
やはりそこには男女格差、あるいは男性の格差が
大きな要因として関係することもわかってきたり。
本日読了
橘木俊詔・浜矩子
『成熟ニッポン、もう経済成長はいらない』
朝日新書319 2011年
世界第二位の経済大国をアイデンティティにしていたものの
GDPはついに中国に抜かれて世界第三位に。
パニックに陥ったかのように、
あるいはヒステリーを起こしたかのように
「再び経済成長を」と叫ぶものの、
ではいったいどうやって?このグローバル化の時代に?と言われると
答えを出すのは簡単ではない。
そんななか、「もう十分成長したんだから、
成長の果実を十分に享受しながら老いてゆけばいいじゃないか、
そういう考えがあったってよいじゃないか」というユニークな提唱。
バブル期以降の「豊かさとは何か」という問いに似ているかもしれないが、
よくわからない、「成長の強迫観念」にとらわれた現代の日本人が、
当時の「経済的な豊かさじゃない豊かさもあるんじゃないか」という主張と同じように
別に衰退してもいいじゃないかという主張を受け入れられるかは疑問。
池上彰著
『先送りできない日本』
角川oneテーマ21 C-201 2011年
先ほどの橘木&浜の主張とは同じような認識に立ちながらも違う主張。
同じ認識というのは、
「日本はもはや、追い付け追い越せの成長型社会ではなく、
十分に成熟し、追いかけられる成熟型社会になったのだ」ということ。
それでも、経済成長したいのならば、
しっかりと海外に打って出てゆくことを主眼に
経済活動を行わないといけない。
そういう、追い付かれる側の社会構造に日本がなれるかどうかがポイント。
こういう主張だ。
中国や韓国は日本をお手本にしてきた。
だから、現在の中国や韓国の成長はいわば当然のこと。
ちょうど、日本が欧米を手本にしてきた20年くらい前までの状況と同じ。
あとは、追い付かれる側になった日本が、
世界でどのような立場を演じるのか、
いままで追い付く側だったために、うまく立ち回れていなかったが、
今こそ、問題を先送りせずに、大きく立ち位置を転換する必要がある。
というような主張。
この場合、キーになるのはマスコミと教育か。