我孫子
2012年09月17日
竹内神社例大祭2012
昨年は、震災と液状化により中止されてしまった
布佐の竹内神社例大祭。
今年は、無事9/15-9/17に開催されました。
今年の当番町は三丁目。
まずは、2日目の様子。
2日目夜の競争は三丁目の御仮屋前で行われました。
こちらは手前から大和町と二丁目
反対側に手前から一丁目と上町
正面左手が三丁目の山車、右手には御仮屋。
競争が終わると、三丁目と御仮屋に挨拶をして、
各町内、お互いに挨拶をして、山車が各町内に帰ってゆきます。
最終日は例年通り、ナリタヤ駐車場にて。
こんな風に並びます。
左から上町、一丁目、大和町、二丁目、三丁目。
当番町の順番で、来年は上町ですね。
盛り上がっております。
上町
一丁目
屋根からいろいろ降ってました。
大和町
盛り上がっててなかなかうまく撮れない。
二丁目
三丁目
今日は神輿があるので提灯などは省略。
競争が終わると、こんな風に神輿が出てきて
各町内の山車を回り、上町へ移動。いよいよクライマックスへ
こんな風に各町内の高張を先頭に神輿が神社に向かいます。
こんな風に道路の両側を、各町内の山車に囲まれる中、
神輿が提灯の下がる境界線を越えて神社に戻ろうとしますが…
入るなー、と引き止めます。
まだまだー
で、21:00の花火を合図に一気に神社へ戻ってゆきます。
丁跨ぎ。
丁跨ぎが終わると、二丁目から順に引き揚げます。
いよいよ今年のお祭りも終わり。
二丁目
大和町
挨拶を交わして
また、来年。
布佐の竹内神社例大祭。
今年は、無事9/15-9/17に開催されました。
今年の当番町は三丁目。
まずは、2日目の様子。
2日目夜の競争は三丁目の御仮屋前で行われました。
こちらは手前から大和町と二丁目
反対側に手前から一丁目と上町
正面左手が三丁目の山車、右手には御仮屋。
競争が終わると、三丁目と御仮屋に挨拶をして、
各町内、お互いに挨拶をして、山車が各町内に帰ってゆきます。
最終日は例年通り、ナリタヤ駐車場にて。
こんな風に並びます。
左から上町、一丁目、大和町、二丁目、三丁目。
当番町の順番で、来年は上町ですね。
盛り上がっております。
上町
一丁目
屋根からいろいろ降ってました。
大和町
盛り上がっててなかなかうまく撮れない。
二丁目
三丁目
今日は神輿があるので提灯などは省略。
競争が終わると、こんな風に神輿が出てきて
各町内の山車を回り、上町へ移動。いよいよクライマックスへ
こんな風に各町内の高張を先頭に神輿が神社に向かいます。
こんな風に道路の両側を、各町内の山車に囲まれる中、
神輿が提灯の下がる境界線を越えて神社に戻ろうとしますが…
入るなー、と引き止めます。
まだまだー
で、21:00の花火を合図に一気に神社へ戻ってゆきます。
丁跨ぎ。
丁跨ぎが終わると、二丁目から順に引き揚げます。
いよいよ今年のお祭りも終わり。
二丁目
大和町
挨拶を交わして
また、来年。
2012年08月25日
2011年09月12日
185日
昨日で東日本大震災が発生してから半年になりました。
奇しくも、アメリカ同時多発テロから10年でもあったわけです。
さて、今日、9/12で東日本大震災から185日めとなります。
今日まで185回の1日1日を人々は生きてきたのですね。
どんな単位で数えるかって結構面白いもので、
10年っていうと、あーそんな経つんだと思うわけですが、
日単位に直せば365×10で約3650日。
3650回もの毎日を営み続けてきたわけですね。
当時私は高校2年生。
早混生活は、週単位で数えると、なんだか自分の感覚とぴったりでした。
月単位、時間単位、単位一つ変えるだけで
随分感覚って違うものですね。
明日からまた先生生活が始まりますが、
こちらはやっぱり「授業時数」で数えたいもの。
授業進度なんかの関係もありますが、
あぁ、この子達と一緒に勉強できるのはあと○○回しかないんだなと思うと、
俄然授業へのモチベーションが上がるものです。
さて、そんなこんなで東日本大震災から185日。
布佐地区では、液状化によって
地区の多くの家が被害に遭ったため、
本年度は運営が難しいということでお祭りがなくなりました。
お祭りがない9月というのは、なんだか寂しいものです…
液状化で一躍有名になってしまいましたが、
半年たって、どうなったのか。こんな感じです。
大きな道路は修復されましたが、
細い道は基本的にあの日のまま。
建物は、壊れてしまっても個人の物なので、
基本的にはそのまま。
傾いたまま。
道路だけ復旧。
でも、沿道の家々はあの日のまま。
盛んに報道されている地域の少し裏手も結構被害があったんです。
今も傾いたままの電柱。
傾いたままの電柱に、沈んだままのお店。
そのそばには新しく走り始めた印西市民バスの停留所。
水道管は今も仮設状態。
多くの家が避難しているようで、ひっそりと静まり返っています。
窓の下のあたりまで沈んでいる。そのまんま。
1階のドアが半分埋まってしまうくらい沈んだところも。
一部取り壊しをしている家もありますが、
解体するにも費用が掛かるので、
多くの家は傾いたり沈んだりしたまま。
我が家の隣の家は、見た目は被害がなかったものの、
増築しようとしたら、地震の影響で増築には耐えられないとのことで、
結局取り壊して新築することになったようです。
やはり、個人の持ち物(敷地にしても建物にしても)は個人で負担しないといけないものが多く、
なかなか動けないというのが実情。
明るい報道も大切なんですが、
報道の力で、現実以上に「復旧しているように見える」
あるいは逆に、現実以上に「悲惨に見える」というような場合もあるので、
やはり、報道を過剰に信用しないという、受け手の態度も大切ですね。
奇しくも、アメリカ同時多発テロから10年でもあったわけです。
さて、今日、9/12で東日本大震災から185日めとなります。
今日まで185回の1日1日を人々は生きてきたのですね。
どんな単位で数えるかって結構面白いもので、
10年っていうと、あーそんな経つんだと思うわけですが、
日単位に直せば365×10で約3650日。
3650回もの毎日を営み続けてきたわけですね。
当時私は高校2年生。
早混生活は、週単位で数えると、なんだか自分の感覚とぴったりでした。
月単位、時間単位、単位一つ変えるだけで
随分感覚って違うものですね。
明日からまた先生生活が始まりますが、
こちらはやっぱり「授業時数」で数えたいもの。
授業進度なんかの関係もありますが、
あぁ、この子達と一緒に勉強できるのはあと○○回しかないんだなと思うと、
俄然授業へのモチベーションが上がるものです。
さて、そんなこんなで東日本大震災から185日。
布佐地区では、液状化によって
地区の多くの家が被害に遭ったため、
本年度は運営が難しいということでお祭りがなくなりました。
お祭りがない9月というのは、なんだか寂しいものです…
液状化で一躍有名になってしまいましたが、
半年たって、どうなったのか。こんな感じです。
大きな道路は修復されましたが、
細い道は基本的にあの日のまま。
建物は、壊れてしまっても個人の物なので、
基本的にはそのまま。
傾いたまま。
道路だけ復旧。
でも、沿道の家々はあの日のまま。
盛んに報道されている地域の少し裏手も結構被害があったんです。
今も傾いたままの電柱。
傾いたままの電柱に、沈んだままのお店。
そのそばには新しく走り始めた印西市民バスの停留所。
水道管は今も仮設状態。
多くの家が避難しているようで、ひっそりと静まり返っています。
窓の下のあたりまで沈んでいる。そのまんま。
1階のドアが半分埋まってしまうくらい沈んだところも。
一部取り壊しをしている家もありますが、
解体するにも費用が掛かるので、
多くの家は傾いたり沈んだりしたまま。
我が家の隣の家は、見た目は被害がなかったものの、
増築しようとしたら、地震の影響で増築には耐えられないとのことで、
結局取り壊して新築することになったようです。
やはり、個人の持ち物(敷地にしても建物にしても)は個人で負担しないといけないものが多く、
なかなか動けないというのが実情。
明るい報道も大切なんですが、
報道の力で、現実以上に「復旧しているように見える」
あるいは逆に、現実以上に「悲惨に見える」というような場合もあるので、
やはり、報道を過剰に信用しないという、受け手の態度も大切ですね。
2011年08月30日
2011年08月26日
印西市のバスがやってくる
成田線の本数が増えることもなく、
木下行のバスが消えてから10年以上が経過し、
龍ヶ崎行のバスも消え、
関鉄も撤退し…
いよいよ車がないとどうしようもない状況になりつつある中、
久々に明るい話題。
我孫子市ではコミュニティーバス「あびばす」を運行しているのですが、
コミュニティーバスとは縁がなかった布佐地区。
まぁ、おおよそ布佐か新木の駅まで歩いて20~30分もあれば
辿りつけるので、他の地区よりは必要性が薄かったのかもしれません。
でも、やっぱりコミュニティーバスが欲しい。
特に、千葉ニュータウンに行く足が欲しいよ!
と布佐地区の人々は願っていたわけですが、
我孫子市的には、ほとんど市内を走らないコミュニティーバスを
動かすリスクなんか背負いたくないよ!
というわけで
「印西市に頼んでるから、ちょっと待ってね」
と言ってきたわけです。
そして、いよいよ9月1日より、
印西市のコミュニティーバスが布佐地区にもやってきて、
印西市役所~布佐~千葉NT中央
を1回100円で走ってくれるとのこと。
バス停が設置されていました。
9月1日から運行だそうです。
勿論、コミュニティーバスなので
それほど本数は多くないですが、
それでも、車がない人たちには朗報かもしれません。
千葉ニューにはいろいろなものがそろっているので。
これで、距離的には近かったけれど、
足的に遠かった千葉ニューが少し近くなりそうです。
2011年08月20日
2011年08月13日
お散歩
体調が回復してきたので、
今日は涼しくなってから少し散歩に出かけました。
きゅうり屋さん。
昔から全く変わらないこの雰囲気。
なす、キュウリ、オクラ、玉ねぎ全部100円!
稲もだいぶ色づいてきました。
見た目は昨年と変わらず。
(夕方だったので色が悪いですが)
でも、この稲たちにはこれから順次、放射性物質の検査が待っている。
東葛地区は線量が高めなので若干心配。
心落ち着く風景。
いつまでも、そのままであってほしい。
最近はあんまり見かけなくなったタニシ。
ちゃんと生息していました。
布佐下の斜面林には猫がいました。
しばし、にらめっこ。
地震で落下した?浅間神社の鳥居にあったはずの看板(?)。
「仙元宮」と書いてあります。
今日は涼しくなってから少し散歩に出かけました。
きゅうり屋さん。
昔から全く変わらないこの雰囲気。
なす、キュウリ、オクラ、玉ねぎ全部100円!
稲もだいぶ色づいてきました。
見た目は昨年と変わらず。
(夕方だったので色が悪いですが)
でも、この稲たちにはこれから順次、放射性物質の検査が待っている。
東葛地区は線量が高めなので若干心配。
心落ち着く風景。
いつまでも、そのままであってほしい。
最近はあんまり見かけなくなったタニシ。
ちゃんと生息していました。
布佐下の斜面林には猫がいました。
しばし、にらめっこ。
地震で落下した?浅間神社の鳥居にあったはずの看板(?)。
「仙元宮」と書いてあります。
2011年07月04日
散歩
暑いですね。
こんな時は朝早い時間か夕方涼しくなってから散歩するに限ります。
12年前、受験を控えていた僕は、
朝6時過ぎに起きて、ラジオ体操をして、家の周りを散歩して、朝ご飯を食べて勉強するというのが
夏休みの日課でした。
なんと健康的かつ模範的受験生生活(笑)
まぁ、そんな12年前を再現するには体が衰えすぎてしまいましたので、
とりあえず、比較的余裕のあるに日曜日のお散歩から
体勢を立て直してゆこうかなあ。
そんなわけで今日は少し散歩に出かけてみました。
写真をちりばめます。
まず小学校裏から宮の森公園など
木々の間から漏れてくる光くらいが一番気持ちいい。
青々と茂った木々。
ここからは布佐下から浅間方面へ。
昼間でも日陰になっていて涼しい。
風も気持ちいい。
少しずつカーブしている道がまたいい味を出しています。
先に行くと
どんな風景が広がっているのだろう。
そんなわくわくする道。
こんな時は朝早い時間か夕方涼しくなってから散歩するに限ります。
12年前、受験を控えていた僕は、
朝6時過ぎに起きて、ラジオ体操をして、家の周りを散歩して、朝ご飯を食べて勉強するというのが
夏休みの日課でした。
なんと健康的かつ模範的受験生生活(笑)
まぁ、そんな12年前を再現するには体が衰えすぎてしまいましたので、
とりあえず、比較的余裕のあるに日曜日のお散歩から
体勢を立て直してゆこうかなあ。
そんなわけで今日は少し散歩に出かけてみました。
写真をちりばめます。
まず小学校裏から宮の森公園など
木々の間から漏れてくる光くらいが一番気持ちいい。
青々と茂った木々。
ここからは布佐下から浅間方面へ。
昼間でも日陰になっていて涼しい。
風も気持ちいい。
少しずつカーブしている道がまたいい味を出しています。
先に行くと
どんな風景が広がっているのだろう。
そんなわくわくする道。
2011年05月16日
被災地の現状
5/11で東日本大震災から2カ月が経ちました。
一向に収まる気配のない原発、
地盤沈下により進まない復旧、
開始される避難区域の住民の避難。
まだまだ地震の生々しさが残る一方、
復興のニュースもさまざまなものが流れ、
あるいは、原発事故や地震当日、その後の様々な対応について
批判的に検証する記事や特集(東京新聞など)が
出始めるなど、4/11からはだいぶ様相が違うものになっている
とも感じます。
さて、そんな今日この頃、
ちょうど4/11前後に報道されるようになった「内陸の液状化」。
その被災地、地元布佐はどのようになっているのか、
先週の週末ちょっと見て回ってきました。
なんだか余震のたびに状況が悪化しているような場所もあります。
余震のたびに少しずつひび割れが悪化しているように思われる歩道。
基礎と建物が分離。
地震前からですが、地震でより一層開いてしまったようです。
基礎の周りのコンクリートは崩れてしまったまま。
さて、ここから液状化区域へ。
道路は直っているものの、個人の敷地は地震当時のまま。
左が復旧した道路。右は液状化で沈んだ家。
矢印の分だけ沈んだことに・・・。
一番被害が大きかった家。
見ての通り、道路は復旧したものの、
建物は左に大きく傾いた地震当時のまま。
こちらも見ただけではわかりにくいですが、
左が復旧した道路。右が沈んだ土地。
道路から土地にかけて、斜めになっているのがわかりますかね?
見えているパイプは応急措置の水道管。
道路は直っても、周りの構造物は地震当時のまま。
よくテレビに出てきた村田商店の看板も斜めになったまま。
村田商店。
赤い線が道路のライン。
やはり道路よりも30㎝以上沈んでしまったまま。
電柱も新しいものは設置されましたが、
地震で傾いたものは撤去されずにそのまま残っています。
結構傾いてます。
都交差点。
道路標識や信号も復旧しましたが、
やはり電柱は残ったまま。
奥に見えるのは利根川の堤防。
都交差点より国道356号線、印西方面。
大きく傾いた電柱はそのまま。
真新しい道路の脇で、地震の日のままの建物。
こちらは左に沈んでいます。
右に沈んでいるのがわかりますか?
タカヨシ。
本来は、道路や左側の緑の建物(ヤクルト)と同じように建っているはずなのに、
右に沈んだため、屋根の線がおかしいのがわかりますでしょうか?
アパートに向かって側溝が沈んでいるまま。
傾いたままの歩道が直された家の門。
都の被害が大きかった地区。
赤い線が道路の線。
この辺は道路が大きく傾いていたものの、
道路だけは復旧。
でも、周囲の家は避難したままのようで、
ひっそりと静まり返っています。
道路以外、3/11から時が止まったよう。
国道にも被災地である旨、看板が出ていました。
GWを終えて、田植えが終わった水田も多いです。
液状化した地域一帯は切所沼という沼(利根川の氾濫原)だったところを
利根川の川砂で埋め立てたところ。
利根川周辺には同じような場所が多々あるようで、
内陸の液状化は利根川周辺で広範に起こっているようです。
布佐では水田は無事だったようですが、
佐原の方では水田地帯が被害を受け、
用水系が駄目になったり、耕運機が使えない泥地になったりして、
今年の作付ができないところもあるようです。
一応道路や電柱、看板は復旧し、
水道管も地上にむき出しのままではありますが
応急的に復旧していますが、
やはり私有地は手つかずのところが多いようです。
これ以外にも、町内各所にひび割れや道路の陥没が発生していて、
特に、雨が降ると、陥没した場所や
変形してくぼんだ場所に水がたまるのでよくわかります。
地震前の姿を取り戻すにはまだまだかかりそうです。
一向に収まる気配のない原発、
地盤沈下により進まない復旧、
開始される避難区域の住民の避難。
まだまだ地震の生々しさが残る一方、
復興のニュースもさまざまなものが流れ、
あるいは、原発事故や地震当日、その後の様々な対応について
批判的に検証する記事や特集(東京新聞など)が
出始めるなど、4/11からはだいぶ様相が違うものになっている
とも感じます。
さて、そんな今日この頃、
ちょうど4/11前後に報道されるようになった「内陸の液状化」。
その被災地、地元布佐はどのようになっているのか、
先週の週末ちょっと見て回ってきました。
なんだか余震のたびに状況が悪化しているような場所もあります。
余震のたびに少しずつひび割れが悪化しているように思われる歩道。
基礎と建物が分離。
地震前からですが、地震でより一層開いてしまったようです。
基礎の周りのコンクリートは崩れてしまったまま。
さて、ここから液状化区域へ。
道路は直っているものの、個人の敷地は地震当時のまま。
左が復旧した道路。右は液状化で沈んだ家。
矢印の分だけ沈んだことに・・・。
一番被害が大きかった家。
見ての通り、道路は復旧したものの、
建物は左に大きく傾いた地震当時のまま。
こちらも見ただけではわかりにくいですが、
左が復旧した道路。右が沈んだ土地。
道路から土地にかけて、斜めになっているのがわかりますかね?
見えているパイプは応急措置の水道管。
道路は直っても、周りの構造物は地震当時のまま。
よくテレビに出てきた村田商店の看板も斜めになったまま。
村田商店。
赤い線が道路のライン。
やはり道路よりも30㎝以上沈んでしまったまま。
電柱も新しいものは設置されましたが、
地震で傾いたものは撤去されずにそのまま残っています。
結構傾いてます。
都交差点。
道路標識や信号も復旧しましたが、
やはり電柱は残ったまま。
奥に見えるのは利根川の堤防。
都交差点より国道356号線、印西方面。
大きく傾いた電柱はそのまま。
真新しい道路の脇で、地震の日のままの建物。
こちらは左に沈んでいます。
右に沈んでいるのがわかりますか?
タカヨシ。
本来は、道路や左側の緑の建物(ヤクルト)と同じように建っているはずなのに、
右に沈んだため、屋根の線がおかしいのがわかりますでしょうか?
アパートに向かって側溝が沈んでいるまま。
傾いたままの歩道が直された家の門。
都の被害が大きかった地区。
赤い線が道路の線。
この辺は道路が大きく傾いていたものの、
道路だけは復旧。
でも、周囲の家は避難したままのようで、
ひっそりと静まり返っています。
道路以外、3/11から時が止まったよう。
国道にも被災地である旨、看板が出ていました。
GWを終えて、田植えが終わった水田も多いです。
液状化した地域一帯は切所沼という沼(利根川の氾濫原)だったところを
利根川の川砂で埋め立てたところ。
利根川周辺には同じような場所が多々あるようで、
内陸の液状化は利根川周辺で広範に起こっているようです。
布佐では水田は無事だったようですが、
佐原の方では水田地帯が被害を受け、
用水系が駄目になったり、耕運機が使えない泥地になったりして、
今年の作付ができないところもあるようです。
一応道路や電柱、看板は復旧し、
水道管も地上にむき出しのままではありますが
応急的に復旧していますが、
やはり私有地は手つかずのところが多いようです。
これ以外にも、町内各所にひび割れや道路の陥没が発生していて、
特に、雨が降ると、陥没した場所や
変形してくぼんだ場所に水がたまるのでよくわかります。
地震前の姿を取り戻すにはまだまだかかりそうです。